富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

角山栄『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会』(中公新書)

癸卯年九月廿六日。

朝のラジオ(NHK)でJR東日本が首都圏の鉄道運行情報。

篠ノ井線今井駅での安全確認の影響で篠ノ井長野駅間の下り線の一部列車に遅れがでています。その他の首都圏を発着する列車は概ね平常通りの運転です。

篠ノ井線は首都圏?中央本線は松本まで東京近郊区間なのだが長野は軽井沢~篠ノ井間はしなの鉄道JR東日本的には分断されてゐる。それでも「その他の首都圏を発着する列車は……」といふのだから、この首都圏感覚とは。

茶の世界史 改版 緑茶の文化と紅茶の社会 (中公新書)

角山栄『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会』(中公新書)を旧版で読む。

中世の世界は豊かで文化的なアジアがあり欧州はそこから様々なものを取り入れてゆくことになるのだが「茶」もその一つ。茶を飲む習慣が欧州に広がり茶葉貿易のため欧州諸国がアジアに貿易をもちかけ経済支配になつてゆくのだが著者は殊に日本の茶文化について宣教師らが日本を訪れ茶の文化に接したことで、それに畏敬と憧憬までをも抱き「ここからヨーロッパの近代史は始まる」とまで言い切つてみせる。茶はもと/\中国なのだが日本の文化や思想にまで昇華した茶道に彼らが着目。清潔さや礼儀正しさなども含めなのだといふ。初版が1980年だから「ジャパンアズナンバーワン」的な時代背景もあるかも。その茶が欧州で普及して茶が商品化する。

ヨーロッパ人の日本茶に対する態度は230年に及ぶ長い鎖国の末、一夜明けてみるとすっかり変わっていた。16世紀中頃から17世紀初めにかけてヨーロッパ人が東洋と初めて接触し東洋の茶、とりわけ日本の茶を知ったとき彼らにとって茶は高尚な文化であった。摂取し模倣に値する文化として茶の輸入に努めたのであった。ところが日本が開港によって再び世界と接したとき茶はかつてのような文化ではなかった。茶はいまや文化から切り離された資本主義的商品でしかなかった。茶が世界市場で激しい競争にさらされる世界商品となっていたことを日本は初めて知ったのである。

近代の物質主義のゆきづまりで再び茶の「心」に関心が向き始め、また新しい段階に入つた、と、これはその通りだらう。

県立図書館で『茶道雑誌』11月号にあつた村上湛君の能の連載で「俊寛」を読む。俊寛の物語の後日談は浅学未知。鬼界島に流刑となつた俊寛藤原成経と平康頼の三人のうち信心深い成経と康頼は熊野権現に生還祈念の板卒塔婆書き記し海に流したところ、そのうちの一本が安芸国厳島神社の浜辺に漂着して都に届けられ平清盛が信心深き二人に感心して帰京許したのだが、それに比べ僧にもかゝはらず信仰に背を向ける(天性、不信第一の人)俊寛。この能(後場)で成経と康頼の二人がどこからか(それが島に勧請あつた熊野権現の巡礼から)戻つてきて、のところがその話に結びつく。成る程。

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文春でその日始まる木曜日、である。

 (参院財政金融委)税金滞納問題で神田財務副大臣「議員の職務が忙しくて」 と答弁:朝日新聞

議員活動は納税を忘れるほど忙しいとはどれだけバカなことをしてゐるのか。