富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

양영희『カメラを止めて書きます』

癸卯年九月十九日。水府も今日は夏日だといはれてゐたが気温は摂氏22度(最低気温10.9度)。東京も24.9度で夏日に0.1度届かず(ほとんど誤差のやうな世界だが)。実際には皇居北の丸の観測地点は都心では涼しいはず。実際は夏日だらう。東京で今日が夏日だと14年ぶりで明日も続くと観測史上初なのださう。

カメラを止めて書きます

ヤンヨンヒ『カメラを止めて書きます』(CUON)を読む。著者の父は大阪で朝鮮総連の幹部で母も熱心な支持者。兄三人とも「祖国に帰国」してゐる。次男と三男は大阪の朝鮮学校での教育で「民族差別はびこる日本で苦労するより祖国での苦労の方が報はれる」と帰国を切望して両親もその名誉を支援する。長男は東京の朝鮮大学校の学生で総連の帰国運動でも長男は日本に残ると信じてゐたが総連中央の幹部から長男も祖国建設にと帰国促され(中央幹部の子弟は帰国してゐないのだが)結局息子三人を祖国に遣り末娘(著者)だけが残る。三兄弟からの便りは「思想的に正確」だが写真を見れば見るからに窶れてゐて焦燥感もあるのだが母はその写真を父には見せず破つてしまひ渾身的に息子たちや帰国した親戚に物資の仕送りを続ける。北朝鮮の実態に懐疑的な娘だが母は「親にしかできへん」と支援する。この家族の郷里が朝鮮半島分断された「北」にあるのなら望郷の念もあり親戚もゐて……で「祖国に帰国」も納得できるのだが出身は大阪には多い済州島なのだ。南(韓国)である。それなのになぜ北の金日成体制を支持したのか。母は戦争中、大阪空襲もあり家族の郷里である済州島疎開。日本の敗戦。その後も済州島で生活してゐたが1947年に済州島で4・3事件が起きて島民数万人が犠牲に。そこで母は大阪に戻る。軍事政権下で貧困の生活に甘んじなければならない「祖国」。それに対して当時、朝鮮民主主義共和国の国土建設がどれだけ理想的な世界に映つたか。「今となつては」なのだが日本で差別され故郷も絶望的ななかで「北」に対する当時の期待を「間違つてゐた」といふのは難しい。娘は芝居の世界から映像へと表現手段を得て自分自身も平壌に兄たちを訪ね大阪の父母の姿を映像化する(Dear Pyongyang(DVD)など)。

『かぞくのくに』ヤン・ヨンヒ監督インタビュー - ぴあ関西版

父母との生活(家族愛)、平壌で厳しい環境の中で生活する兄たち家族、可愛らしい姪っ子……それでもヤンヨンヒの一連の映像作品は総連からも危険視され反革命的な要注意人物とされた彼女の北朝鮮渡航もできない。政治と、それで分断されても愛に満ちた家族の姿が映像作家の秀逸なる文章表現となつた。

大澤真幸「AIと私たち 労働と社会のゆくえ」朝日新聞

問題は生成AIはマイクロソフトやグーグルなどの巨大私企業が所有しているということです。(略)そんなITプラットフォーム企業が行っていることは謂わば「囲い込み運動」です。自分たちで発明したわけでもないのに勝手にコモンズ、共有物であるインターネットという土地を囲い込んで私有地としている。私たちはネット上のサービスについて無料で使えるので便利だと感じていますが実際はただではなく異様な量の個人情報を提供している。消費者である私たちは無償で私有地を耕しているのです。

INU”の町田町蔵が今、日本で最も文学者である事実。(以下この記事でのコメントの要旨)旅行嫌いである一番の理由は「不便」だから。家であれば快適に過ごせるのに。そして旅行はどこかに「行く」ことをしなければならない。しかも「必ず帰る」という重い十字架を背負うことになります。こうなると「もう旅行は「遊び」じゃない」。仕事以上にめんどくさい。それに僕は「消費」したくないんです。日常が不真面目だから。物書きには「何時にここに行かなければ」という縛りはあまりありません。普段から解放されているから「旅行嫌い」なんて言えるのかもしれません。……なんてすてきなのかしら。