富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

酒宴での歓談について

癸卯年六月廿三日。気温摂氏26.1/32.1度。曇(小雨4.5mm)。K先生夫妻来水。早晩に駅近くの路地にある小料理や。K先生と最後にあつたのは2019年に香港騒乱の最中、K先生が実検で来港され外国人記者倶楽部の食堂で会食が最後だつた。K夫人は今晩、ホテルの客室からリモートで勉強会に参加のはずがリモートとはいへ参加者で感染少なからず体調不良者あり勉強会ぢたいお流れで一晩ゆっくりと歓談できることになる。家人も少し遅れてきて狭い小料理やのカウンターの角に居坐り酒はK先生が日本酒お好きなので茨城の地元で武勇、霧筑波、月の井。四人でどれくらゐ飲んだのかしら。K夫人はお酒は好きだが量はあまり飲まなかつたのにコロナ三年で自宅にゐること多くすつかり左党なのだとか。K先生は香港政治専門だが鉄道愛好もありあれこれ興趣重なり毎度のことながら話し出すと小ネタも多ければ脳内の抽斗もずいぶんと開いて嘆話笑話止まることなし。K夫妻は明日、水郡線常陸太田に向かひ西山荘参観はコロナでテレビドラマ〈水戸黄門〉見すぎたことが理由で常陸太田から路線バスで大甕に出るといふから、それは日立電鉄線(常陸太田〜鮎川)の廃線(2005年4月)に伴ふバス路線で夫妻は日立に出てから「かみね動物園」に遊ぶのださう。バスといへばK先生が金澤大学に在職されてゐたこともあり金澤から市内角間を抜け福光を抜けて城端へ、そして能登半島で氷見から「脇」で乗換へての七尾までのバスのことでも盛り上がる。「脇」の集落の話から柳田國男八戸線の「鮫」の話に辿り着けるのはアタシのお近くではK先生くらゐ。K先生は柳田先生の「鮫」の随筆のパロディで書けるであらう「鮭」について語つてゐた。

K夫妻との歓談の話題(拾集)……といつても2つのネタしか覚えてゐない。

- 京王線舞浜駅前に金正男先生の銅像建立のためのクラウドファンディング実施の可否について。

- JR〈ジパング倶楽部〉入会が男性65歳で女性60歳は男性に不利で男女平等に反すること。余命は男性に比べ長いのに。嫁は夫より年下が一般的で夫は定年退職が60歳でも65歳くらゐまでは働く、といふ通年か。国鉄時代のジパング倶楽部開始当時は入会は男女とも65歳だつたが、当時、夫が入会できても妻が(夫より年下で)入会できないといふ不便解消のため女性は条件年齢を引き下げたとか。いずれにせよ不公平なので男性も60歳にすべき、とJRに対して民事訴訟起こすか?と話したところK先生はJRはこんな苦情が訴訟となることは疾うに想定内で、この訴訟に負けたら「では男女平等で入会は65歳に」といふはず。社会の高齢化でジパング倶楽部年齢が今後増大することは明らかでサービスの過剰拡大防ぐには対象年齢の引き上げは当然かも。さらに男女とも65歳となつた場合、ジパング入会を楽しみにしてゐた50代後半の女性の乗り鉄にとつては来年、再来年の入会が+5年先になる。こんな怒つた女性たちに今度はこちらが民事訴訟起こされ60歳kら65歳までの間の分でジパング倶楽部によるお得な金額分を賠償せよ、なんて動きになつたら大変なことに。依つて、このジパング倶楽部男女格差問題の訴訟は難しいか。ところで国鉄時代から上原謙高峰三枝子のナイスミディパスは男女の年齢が足して88歳で利用できたとは。

狭い小料理で水戸の城内の地政学的なこととか市街の歴史的変遷とか楽しく話してゐたが気づいたら狭いカウンターでアタシの並びにゐらしたのは水府城下の歴史の専門家である大学の先生であつた。拙論披露でお恥ずかしいかぎり。それでもこの小料理やから近い〈環翠〉の話を女将としてゐて同店の燐寸の画像をお見せして「銀杏小路」といふ名称から「銀杏坂」はこの環翠のあつた銀杏小路から大銀杏の木を潜り市役所(現・水戸京成ホテル)に上がる道だつたことなど話したらO先生が「さう/\今の銀杏坂は市電を走らせるときに開かれた道路で」と話題に入つていたゞけた。本日は酒飲みの席での碰見でありご挨拶はせず失礼。K先生夫妻とは次回は池袋で江戸川乱歩旧邸潜入と故・史明先生の〈新珍味〉での会食を約してお別れ。

新国立競技場コンペで負けたあと水戸市民会館コンペへの参加について伊東先生曰く「木の大断面による木造建築をどうしてもどこかでつくりたかったんですよね。」「でも結局、構造材を雨ざらしにすることに対する心配はあったので、ガラス張りにしました。」……それぢゃ木の大断面じゃないじゃない?これがどうしても腑に落ちないのだ。