富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

佐藤春夫『台湾小説集 - 女誡扇綺譚』

癸卯年六月初七。気温摂氏21.1/32.1度。暑いは暑いのだが風が随分と変はつてきた。今日の午後は畳間で昼寝が心地よいほどの風が陋宅を抜けてゆく。

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出先で世話をしてゐたハイビスカスの鉢植が今年やつと最初の一輪開花。写真は午後なので、これでも朝のやうな鮮やかさに欠けてはゐる。昨年は6月頃から咲き始めて今頃はずいぶんと咲いてゐたが今年は昨年秋になつても咲きやまないのでそのまゝにしてゐたのが何うやら剪定の時期のタイミングを逸したやうで今年春にはアブラムシにずいぶんとやられてしまつて強い薬剤をまいたことで成長滞り今になつての開花となつた。

野良猫の「みか」と谷中のI家の飼い猫「ちび」

午後5時くらゐになつて散歩に出る。路地の猫たちもこの時間になつてやつと外に出てきた様子。


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谷中にある古い料亭もすでに閉店したのかと思つてゐたが疫禍のあいだの休業だつたあうで今日通ると明かりがついて早晩に店内から客の賑やかな声が聞こえてきた。

佐藤春夫台湾小説集-女誡扇綺譚 (中公文庫)

猛暑なので室内で本ばかり読んでゐる。佐藤春夫台湾小説集 - 女誡扇綺譚』(中公文庫)読む。この本を読んだのは楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』がきっかけ。台中にある国立台湾文學館でも台湾を舞台にした作品のある作家で佐藤春夫のこれがあることも知つてはゐた。ただ佐藤春夫の世界だから耽美的であつたり現実から乖離もあるのかと勝手に思つてゐたが読んでみると表題の「女誡扇綺譚」は台南、安平を舞台に当地を知る者ほどその地域の特性をよくぞ描写した奇怪物で台湾で評判といふのもよくわかるところ。短編の「霧社」は台湾生蕃の「蕃情」について。日本人の植民者に危害加へる生蕃の脅威という状況で実際に日本人襲はれる事件があり具体的な状況は公表されてをらず……。霧社事件かと思つたが大規模な「生蕃の暴動」である霧社事件は当時大きく報道されてゐる。春夫の訪台は大正9年霧社事件は10年後の昭和7年のこと。大正9年は日本による台湾併合から25年で(結果論だが)昭和20年までの日本による台湾統治50年の丁度半ばのことだつた。春夫はこの年(大正9)の夏から秋にかけ3ヶ月台湾に滞在で、その紀行を小説(女誡扇綺譚)、ルポルタージュ(霧社)そして台湾の有力者・林熊微との接触や「本土派」である林献堂との面談(植民地の旅)は警察(公安)の監視下で(まだ大正9年は「自由」な時代とされるところ)林献堂から日本政府の「同化」政策が人権や平等といつた理念からいかに矛盾があるかの献堂の主張の見事な聞き取りなのである。

平等とは両者の価値を同等と見做しているもののように思われるのに、同化に到っては二つを平等たるものと認めず同一のものたらしめようというのにあるので、然らば何を何に同化するのであるか、内地人が本島人に同化しようとするいうのならば知らない事、本島人に向って内地人に同化せよと強要するならばこれは本島人には容易に認め得ないところでありましょう。何となれば、人間は本来の性質として向上心を持っている者でありますが、本島人は既に自ら文明人なりとの自負を持っている。そうして忌憚なく申せば台湾に来ている一般の役人や商人などの文明よりも高い文明を持っていると自負している。その彼らが自分の高い自負を捨ててより低い文明に同化することは人間の本性として肯ぜぬところであります。自負は要するに自惚れ根性できゃっk的の事実ではありませんが、然も人間は頑としてその自負によって生活し行動しているので、この点は本島人のみではなく内地の方にしても御同様で、してみれば内地人と本島人との文明の高下はこれを客観するために現状に於てこれを比較し更に遡っては過去の歴史にまで及ばなければならぬとすれば、これは容易に決定し難い加之頑強な自惚れがそれぞれにこれを固守しているのだから鴉の雄雌を知る者は遂にない道理であります。併しながら我々とても事実はこれを事実として承認せざるを得ないものであり、またそれに対して吝ではないつもりでいますから、内地人の現在に於ける本当に於ての政治的地位の優越はこれを従分に尊重して居るのであるますが、政治的地位の優越必ずしも文明の優越を意味するやを問題とする者でございます。

これだけのことを林家を訪れた佐藤春夫を前に警察(公安)が立ち会ふなかで述べる林献堂は台湾がもし共和制になつた場合の総統候補とまで目された台湾の若き英才。昭和20年4月といふ日本の敗戦直前だが林献堂は帝国議会貴族院議員にまで選ばれ戦後は国民党の台湾佔領のなか柔軟にも対応を試みたが日本に渡り台湾に戻らぬまゝ日本で客死。

佐藤春夫がわずか3ヶ月の台湾滞在のなかでこれだけの記述を残したこと。文明人の野蛮、未開人に対する偏見こそ時代的には十分に見受けられるところだが、それにしても今から百年以上前の瘴癘の地の紀行だと思ふと春夫の視野の広さにたゞ驚くばかり

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