富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

〈千本桜〉で仁左衛門の〈すし屋〉

癸卯年四月晦日。気温摂氏15.9/31.7度。梅雨明けのやう。常磐線から眺める夏筑波。特急は完ぺきに満席で通路に立ち客もあり。こんなのコロナからで初めて。東京駅で家人と別れ丸の内線で淡路町新宿角筈で剪髪をしてもらつてゐたT君が今月から淡路町の理容室に移り初めてこちらで。1年散髪をお願ひしてきたので彼はアタシの癖のある頭髪をもうきちんと理解してくれてゐて仕上がりは髪を指がさっと通り髪の落ち着きもよい。この淡路町の理髪店もかつては銀座マツナガの淡路町店だつたさうで今のスタッフの皆マツナガの出身。角筈のオーナーも同じくマツナガで修行してゐたさう。銀座マツナガを巣立つた理容師のネットワーク。それにしてもこの淡路町は理髪店は交差点の角で地下鉄駅から出ると目の前。オマケに理髪店から道路を渡ると神田志乃多寿司なので散髪のあと芝居見にいつたりには寿司折を誂るには便利。その先は近江屋洋菓子店で、その先には蕎麦の松竹庵ます川だ。これからこちらでの散髪は楽しみ。猛暑。神保町界隈を漫歩。神田須田町のまつやへ。K君と待合せで遅めの昼酒。麦酒はサッポロ赤星で冷房に当たつて身体が冷えてしまひ酒はキクマサをお燗で。せいろとおかめそばをK君とシェア。地下鉄で日比谷に出て数寄屋橋まで歩きサンボア。ハイボール歌舞伎座での幕見までまだ少し時間があつたので銀座サンボアにハシゴしてハイボール。お酒が美味しい。歌舞伎座


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今月の歌舞伎座は開幕まで大変。先づ4月中旬に髙島屋(左團次)逝去で6月昼の部に予定されてゐた音羽屋(菊五郎)との舞踊(夕顔棚)が福助、壱太郎、新悟、種之助、米吉、児太郎らによる(これはこれで賑やかだが)舞踊(扇獅子)に変更。そして5月末に件の澤瀉屋騒動で6月昼の部の中車と猿之助の傾城反魂香は猿之助休演で壱太郎に。その昼の部のバタ/\に対して夜の部(千本桜)は安定どころか松嶋屋仁左衛門)の〈すし屋〉いがみの権太が頗る好評判。

歌舞伎座夜の部〈千本桜〉権太は仁左衛門の芸道集大成の大傑作。初役以来の「放蕩息子の帰還」ドラマが最も熟し弛緩がない。詮議の出に腹で泣く面構え。手拭いを目に当てざま密かに涙を拭う河内家流の技巧。歌六、梅花、彌十郎が望み得る最高配役で充分に受けて立ち芝居堅固。是が非でもお見逃しなく。村上湛 on Twitter:

歌舞伎座では今月から4階席の幕見が復活。かつては全席自由席で並んで早い者順だつたが指定席枠が広く1階から4階までエレベーターで上がれる。そこで昨日のうちに前列30番の角席を押さえ本日は〈すし屋〉の幕見。周末といふこともありほゞ満席。十五代目仁左衛門といふ役者一人で、これだけの集客。他にこんな役者は歌舞伎界で今はもう他に誰もゐない。

〈すし屋〉はアタシにとつては三代目延若(1921〜1991)で昭和63年だと思ふが新宿文化センターで労音の主催だつたのか、で見たいがみの権太に強い印象あり。河内屋で父(二代目)が作り上げた型。これについて松嶋屋はかう語つてゐる。

権太はよい家の出で、ごろつきとは違います。悪餓鬼だけれどもやんちゃで可愛い子を関西では権太といいますが、この役は、まさに大人になっても、そういうところから抜け出せない男として私は演じています。
父親の悪態をつきますが、本当は好きで、父親の窮地を救って自分の勘当も許してもらいたさに、自分の嫁と息子を犠牲にしてしまうんです。でも、あんまり深く掘り下げていくと無茶な話になってしまいます。
梶原を見送って「ああうまくいった、誉めてもらおう」というところでぶすっと刺されてしまう。もうちょっとずれていたら助かったのに、少しの歯車のズレで、人間の運命が大きく変わってしまう。ドラマ性が強調されると思うんです。あれも、初日が開いて何日目からか*1、自然とそれまでのやり方から変わりました。恐らくあのやり方は、今のところ私だけだと思います。ああ、もうちょっとで命助かったのに、可哀そうに、と感じていただけたらと思います。

〈すし屋〉のある三段目は〈千本桜〉のなかでも殊に異質な、筋の飛躍や論理的には支離滅裂だと思ふのだが、だからこそ権太を誰が何う演じるか、にかかつてゐる。関西でも、仁左衛門のそれは、もう河内屋や成駒屋の型とも違つた後世に「松嶋屋の」といはれる完成形といつても良いのかしら。父・弥左衛門を歌六が好演。久ヶ原T君が、これで維盛が(錦之助もよろしいが)梅玉だつたら、と……御意。


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歌舞伎座を出ると19時近かつたが、まだ随分と明るい。家人は神保町の「香港の広東料理」供する食肆で夕食会あり。東京駅を21時前に発つ特急で水戸に戻ることにしてゐて時間はあるのだが銀座ライオンも〈梅林〉も手頃なところは行列で6丁目の焼き鳥〈鳥繁〉は?と思つたら第1、3土曜が休み。八丁目のお多幸へ。


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ビールがサッポロ赤星で酒はキクマサなのが良い。お多幸といふと関東風でも殊にこげ茶色に煮〆たおでんの印象が強いが、あれは昔は5丁目でソニービルの近く(鳥ぎんのある路地)にあつたお多幸(今は日本橋?)ので、こちらの八丁目店の系列はあれに比べると少しあっさり。新宿で紀伊国屋の裏手にあるお多幸もこちらの系列。ところで箸袋の裏に八丁目店と新宿と神田の系列店の紹介がプリントされてゐるのだが住所表記が面白い。

銀座八丁目店 銀座並木通り8丁目
新宿店    新宿東口紀伊国屋ビル裏通り
神田店    室町4丁目中央通りカメラのキタムラ横通り

確かにわかりやすいといえばわかりやすいのだが。まだ少し時間があつたので本日二度目の銀座サンボアでハイボール一杯飲む。

*1:このインタビューは2018年12月、京都南座での顔見世のときのもの。