富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

房総鉄道の旅②

癸卯年四月廿五日。気温摂氏19.3/22.5度。雨(館山7mm)。昨日の行程に比べたら今日はずいぶんとのんびりしたもの。わかりやすい行程である。

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今回の行程のなかで木更津から上総亀山に至る久留里線は「先がない」ので朝から往復することに。あくまで「久留里線に乗れば良い」のつもりだつたが久留里から先の山間の路線は本当に来てみて良かつたと時間する、いすみ鉄道や小湊鉄道に勝るとも劣らぬ見事な路線であつた。朝の列車は木更津から久留里にある高校(県立君津青葉高校)に通学する高校生で賑はふが高校生が久留里で列車を降りると乗客は数名。

久留里〜上総亀山の駅間の収支率は僅か0.6%(2019年度)で「JR東日本管内で最も低い」。160万円の収入生み出すのに2億7600万円の経費がかかつたさう(2020年度)。2013年以降は平均通過人員(輸送密度)が4年間で半分になるペースで減少(2013年度216人/日→2017年度103人/日→2021年度55人/日)。(ヰキペディア)

久留里には清酒「天乃原」のの須藤本家あり。久留里も寄つてみたいところだが列車はこゝから山間部に入り景色はまるで「わたらせ渓谷鉄道」のやう。上総亀山に到着。

終点駅で地元のおばちゃんは線路をフツーに渡つてお家の方へ。駅前にはコンビニどころか、かつて一軒あつた商店も閉まつてゐる。年老いてずいぶんと弱つた猫がお出迎へしてくれた。人懐ッこいが餌を食べる食欲もあまりないやう。

亀山には千葉県で最大の貯水量がある亀山ダムがあり、その周辺で温泉ホテル建設や観光化が目論まれたがベタなレヂャーブーム続かず下火。久留里線の列車はすぐに折り返し。緑のトンネルのなかを列車は進む。小櫃川久留里線が縫ふやうに走り久留里までの車窓からの眺めは飽きることもない。

内房線は木更津の次の君津までは首都圏の鉄道網で列車本数も多いが君津から先に向かふ列車は、かつては特急「さざなみ」が館山まで走つてゐたが、それも今では君津までのビジネス/通勤特急でローカル線は2両編成で1時間に1本程度。

佐貫町駅をすぎると上総湊駅の手前から外房線はやつと沿海を走る。台湾の東幹線を台湾鉄路の列車で走つてゐるやうな感覚。館山に到着。グーグル地図で館山で「神社」で検索するとわかるが館山は神道の由緒ある神社が点在。このあたりから勝浦にかけては日蓮宗なども信仰が盛んで戦前は宮中でも妃や女官らの熱心な信心で安房詣や寄進も盛んであつた。こんなことはもう久が原T君くらゐしか知らないだらうけど。

3時間も時間がある。雨も本降りで館山城とか南総里見八犬伝の世界探訪もできないが安房鴨川からの特急(わかしお)を特割料金で買つてゐるので変更もできない。お昼なので少し歩いて白濱屋本店といふ鮨やへ。客はちらし鮨を平らげて昼酒を楽しむ常連の「親方」が一人。大正8年創業で4代目のご亭主が女将さんと営んでゐる。シャリもネタも東京の寿司やの3倍とあるが実際にデカい。だけどネタもシャリも美味いから。今日はここから飲み鉄の始まり。ビールを飲んで握り寿司をたくさん頬張つて日本酒で〆る。

館山駅に戻りベンチでのんびりと内房線の次の次、の下り列車を待つ。安房鴨川までが内房線で(実際には外房に出てゐるのだけれど)次の列車に乗つたところで乗車券は安房鴨川→水戸で「東京近郊区間」だから途中下車もできないので*1館山から安房鴨川に急いだところで何うしようもない。飲んでゐれば良い。館山駅売店安房の地酒のコップ酒仕入れようと思つたらNewDays無人店舗でアルコール類置いてない。雨のなか駅近くのコンビニへ。駅の改札口前のベンチにずつとゐると数えるほどの通行人/乗客のなかに、それなりの数の「マツコの知らない世界」っぽい人たち。何度も通路を往復する年老いた母とニートの息子、とかホームレスぢゃないが大きな袋をいくつか抱えベンチでぼんやりする人とか。それを見て笑つてはゐられない。アタシたちだつて駅のベンチでぼんやりとする(なにせ上り、下りの電車に乗らないのだから)行き場のない老夫婦でダンナはアル中と見られてゐるだらう。

安房鴨川で特急(わかしお)に乗車。今回この房総半島鉄道の旅をしてゐるが、これまで千葉県は近いのに本当に来る機会は数えるほど。それも千葉と成田、それに小学生のときに一人でデパート都市として評判になつた柏くらゐしか行つたことがなくて常磐線で通り過ぎる松戸も醤油の野田も知らないし銚子も今回が初めて。それでも小学生のときに祖母が戦前四谷で隣近所だつたY家が幕張の分譲マンションに引っ越したので祖母が家褒めに行くことになりアタシがそれに同行すると幕張のYさんのマンションに1泊した翌日、祖母はアタシを行川アイランドまで遊びに連れてきてくれた。それがこれまで人生でたつた一度の外房。帰りも東京までわかしおに乗つたはずで行川アイランド蘇我は今日のわかしおと同じルートに乗つてゐることになる(蘇我からは当時は総武線に乗り入れ)。行川アイランド駅は存在してはゐるが行川アイランド*2ぢたいは20年以上前に閉鎖の由。千葉といへば船橋ヘルスセンター行川アイランドマザー牧場(富津)や鴨川シーワールドなど昭和には大型レヂャー施設がいくつもあつて首都圏から集客も見事なものだつたが、さうした施設が相次いで閉鎖(それが鴨川シーワルドはまだ存続はアタシの誤解)の一番の原因は浦安のディズニーランド開園(1983年)。

勝浦に立ち並ぶ温泉旅館やリゾートマンション
守谷海岸の渡島(左)と太東駅近くの旧鉄橋跡(借用画像)

特急わかしお勝浦駅で前5両連結。こんな現場を見てゐるのはアタシと6歳くらゐの鉄ちゃんのみ。

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大原から外房線蘇我に出た特急わかしお蘇我から京葉線へ。見たこともない近未来的な都市の風景。稲毛海岸ももう昭和のころの寂れた感じなどもない。幕張の副都心化。小学生のときに祖母に連れられてきた幕張は、まだ6階建てくらいの社員住宅のやうな分譲マンションが何十棟か立ち並んでゐるだけだつたが今は巨大な商業施設や運送施設がいくつも並んでゐて、そのなかに集合住宅が肩身狭く並んで、いくつかの超高層タワーマンションがそれを見下してゐる。特急の指定席で乗客は少ないが台湾人の商人が日本企業の連れを相手に相場や為替、減価率など話がうるさい。日本人の連れのほうは、もう今日の商談も終はつたのだから台湾商人の話に相槌打つのも面倒さう。台湾商人が「ケツ叩イテデモ納期守ラセナイトダメヨ」。東京駅は京葉線常磐線特急への乗換へは19分あるが歩く距離も長いし帰宅ラッシュも始まり混雑で忙しいかぎり。本当はグランスタの崎陽軒シウマイ弁当まい泉カツサンドでも買はうと思つたがフロア勘違ひしてエキュートに入つてしまひ時間もなく駅弁やで深川めしを購入してアサリと牛蒡の煮もので安房の酒(寿満亀)を飲む。

画像(左)は今日のお昼、館山の白濱屋本店のにぎり寿司。握りの大きさを見ていたゞきたい。典型的な「いなか寿司」なのだが、これがネタの魚の多くが近海ものでシャリもじつに美味しいので、この大きさの握りが実に美味しかつた。カツオのタタキに始まり魚介類も随分とあつて館山はもう一度ゆっくりと来て南総里見八犬伝巡りをして、この白濱屋本店でじっくりと魚肴を頬張りながら酒を飲んでみたいと思ふ。

赤色の線が昨日。青色が本日。この2日でじつに房総の鉄道によく乗つたもの。今年は鉄道の千葉フリーきっぷだかが売出しになつてをらず青春18きっぷもまだ少し先で、この青春18きっぷだとお約束では今回のルートでは外房線の特急(わかしお)にも常磐線特急にも乗れず、東京近郊区間で途中下車も多いし外房線の大網〜大原間は重複してしまふから一本切符にも出来ず。それでもルートを考慮したことで水戸から大洗鹿島線鹿島神宮→大原、松岸⇔銚子、銚子電鉄いすみ鉄道小湊鉄道、五井→木更津、木更津→上総亀山、上総亀山→館山、館山→水戸……と運賃効率はけして悪くないものだつた。

*1:これからの行程は実際には安房鴨川から特急で外房線京葉線で東京経由の常磐線で水戸だが「東京近郊区間」のルールで乗車券は外房線東金線総武本線で佐倉→成田線我孫子常磐線と最短距離での運賃計算となる。

*2:フラミンゴも高齢化で飼育で繁殖が当時難しく輸入すると1羽50万円もしたさう。