富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

歌舞伎座(四月)松嶋屋切られ与三と松緑親子の連獅子

昨日の統一地方選(拾遺)。全員当選が当たり前だつた公明党で全国での落選が12人。全員当選の最後は実は2007年で、その後は2人、4人、2人と落選もあつたがブレ程度っだつたものが今回一気に二桁。維新の好調。東京の市区議で候補者70人のうち67人当選で22議席から73議席に。しかも49人が上位3分の1以内の高得票数で11市区トップ当選。江戸川は1、2位のゲッツー。神奈川も2から25で埼玉も0から5議席に。これほどの躍進に維新代表は「今の段階では消極的な支持が殆ど」と謙虚。中野区でトップ当選の維新は「3つの飲食店を営む気鋭の経営者」で、それが実はゲイバー(出会ひ系)だつた(しかも過去の下ネタ系SNS書き込みまで出回る)といふのは(中野区らしいと思ふが)職業に貴賤はないのだがLGBTに消極的な維新がそれを何う目を逸らすかも興味深いところ。
本日癸卯年三月初五。気温摂氏7.8/17.2度。晴。昼前に東京。家人が海苔を買ひに築地に行くといふので新橋で国電を出て天気も良いし暑くも寒くもないので歩いてゆくことに。新橋のステンショから地下を汐留まで潜り電通の建物を「中抜き」ならぬ中抜けで築地へ。朝日新聞の新館(浜離宮朝日ホール)から本館に抜けるところで隣接ビルのバルコニーで昼食のアトだからうが喫煙所に行列までしてタバコ一服の勤労者を眺む。

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やはり新聞社は喫煙率も高く社内禁煙では辛からう。朝日新聞を出ると向かひは国立癌センターで癌センターの場合はさすがに喫煙所ないのかしら?と家人と話しつゝ見返すと、さきほど朝日新聞の別館?と思つたバルコニーの喫煙所は朝日新聞社とは別区画。Googleの地図で調べてみたら「さもありなむ」で東京国税局。喫煙率の高さに彼らのストレスを思ふばかりなり。そんな国の役目で健康害すのは何とも不憫なこと。築地はまぁ外国人の多いこと。皆なぜか立ち食ひ。こんなところまで立ち食ひのために来るとは。昼どきだが行列のできる飲食店も多いなか寿司清本店が外で1組しか待つておらず、こちらで昼の寿司にする。カウンターで隣席に来た若夫婦と娘二人。始めこの家族の話す言葉が何処かわからぬチャンポン。しばらく聴いてゐて広東語が元の家族でヘンな英語が混じる星加坡🇸🇬とわかる。娘らが「コークフード、コークフード」と親に喰ひ物求がむ。それが何かわからなかつたが娘らにコーラが出され、まぁ彼らのことだから寿司屋でもコーラか、と思つたら娘らが親に「店の者は私がコークフードと言つてゐるのを聞き違へてコーラを出してきた」と呆れ笑ひ。寿司屋の店員が英語がわからないと嘆くのである。「コーク」とは何ぞや。両親は「おまかせ」で寿司の握り10カンだか頼んだが娘らは焼き物だか厚焼き玉子だか喰ふばかりで魚の生物は嫌ひの様子。それでハタと気づいたが娘らは“Cooked Food”つまり生物ダメで火の通つたものにしてくれと親に言つてゐて店員が、その「コーク」でコーラ飲料を出したやう。アンタらの英語なんてインド英語以上に誰もわからない。あれこれ食べ散らかしてカウンターの上はおしぼりからティッシュまで皿の上に盛り澤山に積んで汚したまゝ出てゆく彼ら。アジアで最も富裕国となつても所詮、この作法の乏しさに呆れて言葉もなし。板前と目を見合はせ「なんだろうね、これ」と嘆く。銀座に出る。ヤマハ銀座店に行くといふ家人と別れ自由行動。鳩居堂。練香「若松」購入。このまゝ向かひの若松で豆かんも良いが、ふらりと銀座松屋へ。このところ無印とユニクロでしか衣料品を買ひ求めておらず。何か良いものでもあれば?と思つたがジャケットすら着ない生活が続き今日もカーディガン。カーディガンといふのはそも/\室内着で外で着るものではないと思ふのだが先日亡くなつた坂本龍一さんも〈スコラ〉とかでカーディガン姿もステキ。そんなわけで外でも緩くカーディガンにコートなんて「コーデ」のアタシ。そしたら松屋ではメンズの売り場を見てゐたらステキな鮮やかな色のカーディガンを見つけて即、購入。

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まだ少し時間があつたので午後3時に開店の銀座サンボアへ。ハイボール。外国人旅行者の多い銀座。サンボアにも英語人ら4人で入つてきたが「4人なんだけど実際には5人」なんて言葉に何かと思へば1人の幼子ありバーテンダーがさすがに「子どもはダメ」と断り。そりゃさうだらう。常連の客とバーテンダーがそれを「どんなものか」と話してゐるので「英国だつてパブは大人の場所で子どもは年齢制限あり」とつい口を挟むとバーテンダー氏に「さうですか」と合点される。歌舞伎座へ。

松嶋屋と大和屋で〈切られ与三〉。木更津と逢引きの場をさらりとやつて源氏店。松嶋屋は一つの姿々がどれも確かに見事に絵になるが(今月の初日から数日は体調不良で休演となつたが)声にはハリもない。それにしても78歳である。年老ひても美しい姿形を維持できた役者として誰だかが十五代目(羽左衛門)と勘弥に続くのは仁左衛門だけと書いてゐたが、それはその通り、まことに美しい姿。十五代目が亡くなつたのが昭和20年で70歳、勘弥は昭和50年に68歳で亡くなつたのだから、それを考えると松嶋屋の78歳がいかに見事か。だが78歳の役者が72歳の大和屋と〈切られ与三〉をやらなければならないことがおかしくないか。本来であれば30代くらゐの水も滴る役者が着物姿で股を開いて「しがねぇ恋の情けが仇……」とやつてこその与三郎だらう。今なら染五郎とかに託されるべきはず(見たいとも思はないが)。昭和38年なら成田屋の与三郎に、大成駒のお富で蝙蝠安が勘三郎だつた。大和屋のお富は場面そこ/\で芝居は上手いが、それだけ、といへばそれだけ。芝居は上手いのだがあくまで芝居。覚悟が伝はらない。蝙蝠安は市蔵の芝居が余計にコミカルすぎ(お父っあんの市蔵が懐かしい)。お富を見受けする和泉屋は左團次のところ体調不良からの急逝で権十郎仁左衛門さんが与三郎で劇中、何度かキセルで一服するシーンがあるのだが必要以上にきちんと莨を上手そうに吸つてみせて、あれは愛煙家の松嶋屋も品川で家から「散歩」と出かけてカフェのテラスでレコと落ち合ひ一服もできないので舞台でも一服はさぞや美味しいものか、と家人と話す。中入り後は松緑Ⅳと倅の左近による〈連獅子〉。これまで松緑辰之助辰之助と嵐……と父子でやつてきたパフォーマンスである。中村屋勘九郎勘太郎もあれば松嶋屋仁左衛門が孫の千之助とこれをやるのを所望で話題となつたが松緑もずいぶんときちんと演じるやうになり左近は17歳で、父親はその年頃すでに六本木で豪遊してゐたのだが、倅は身体が本当に自在に動くと仕事でまさに子の獅子を軽やかに見せる。それはそれで素晴らしい。だが客席のあまりの拍手喝采。これまで幾度となく連獅子など見てきた客も多からうと思ふのだが今日のこの祝祭は3年に及ぶ疫禍明け近しへの喜びなのか。歌舞伎座も座席の制限もなく完売ほゞ満席で場内ばかりか客席での休憩時間の飲食もできるやうになり賑やかなもの。歌舞伎座を出たのが夜7時半くらいで(二部制の夜の部の終ひには随分と早いものだが)三越がまだ空いてゐて帰りの車中で食べるお弁当買ひ有楽町へ。須磨帆に情報で昏刻に常磐線は牛久付近で線路に飛び込み自殺ありダイヤ乱れと報せあり。事故直後の特急は何本か運休で、その後は上野〜品川を区間運休にして(上野東京ラインでの相互乗り入れの路線への配慮であらう)上野折り返しで遅延で運転ださう。アタシらの乗る特急は東京駅が定刻は午後8時半の少し前で区間運休も出ておらず「それなら東京駅のあの混雑で遅延の列車を待つなら始発の品川の方がマシでは?」と品川に向かふが南無三法、山手線で品川に着くなり区間運休で上野発、この列車に乗車の方は上野へ、とアナウンスあり。上野発は定刻なら15分後だが定刻で上野発になるはずもなく上野に向かふ。上野駅は鉄ちゃんには嬉しい地上ホーム17番線の行き止まりホームからの特急発車で(この3月のダイヤ改正で上野初の常磐線特急はもう消滅)上野発は定刻なら20時半の特急(ときわ)は23分遅れで発車。それでなくとも常磐線は取手あたりまで速度は遅いが、ダイヤ乱れた所為でいつも以上に低速運転で最初の停車駅、柏着で33分遅れ。そのまゝ水戸まで。幸ひ三越で購入のお弁当が日本橋弁松の二段重ね。のんびりとおかずを肴にビールを飲んで、それからお赤飯をいたゞく。

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常磐線は本当に飛び込み自殺がアトをたゝない。家人曰く、常磐線で列車遅延の場合は「とにかく上野駅へ」が鉄則。ダイヤが乱れた場合に常磐線は従前の如く「上野折り返し」になるので東京や品川はダメといふこと。