富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

観世寿夫〈井筒〉

癸卯年閏二月廿二日。気温摂氏10.0/24.2度。夕方から強風(MIWS15.3m)で雨となる(10mm)。生憎、出歩いたときだつたが西から晴れ始め一瞬の虹を拝む。

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帰宅して昏刻に、何となくこれはちょうど絶好のタイミングといふ気がして薄暗いなかDVDで観世寿夫〈井筒〉やつと見る。

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この映像がNHKのarchiveに残つてゐただけでも遺産だらう。昭和52年。観世寿夫が52歳のとき(翌年に逝去)。ワキは宝生閑でまだ43歳。小鼓は源次郎先生?と思つたらお父上(長十郎)。大鼓は瀬尾乃武で地謡の地頭は観世静夫。〈井筒〉は世阿弥が「上花也」〔最高級の作品〕と自賛したといふほどの夢幻能の傑作。だがシテとワキの二人でワキはしかも名乗りもせず見所の観客と一緒にシテのパフォーマンスを見るやうな立場。見た目は単調といへば単調な作品。つまり余程の才覚のあるシテ方ではないと勤まらない。昭和の世阿弥再来とまで称された観世寿夫の映像を眺めると動作の全て、それが手先から足袋の足の指の動きまで、静止してゐる姿のすべてが見事としかいふ他なし。物語など超越して、たゞ世の無常とかを感じてゐるしかない。この〈井筒〉につき観世寿夫自身は、かう語る。

能の時間は、たとえ「序ノ舞」が実際に十数分であったとしてもそれは一瞬とも、また一生ともいえる不思議な時を創り出すことができるのである。演技者とすれば、自己の全生命がその一瞬/\に舞台の上で華をひらくということならなければ創れないものといえる。すなわち中入後は、筋書きは問題ではなく、表面的な劇性を超えた「井筒」全体の主題が、演者の生き方と、「井筒」のシテの性格をつうじて、深くしっかりとうちだされなければならないのである。「本意の物まね」とは、こうした演技のことであり、そうしたものを根底に踏まえて演じるからこそ、能の女性の表現は何も表面上女性らしく振舞ったり、女らしい声を出したりする必要がなくなるのである。

まさに、この思考が舞台で所作になつてゐるのだから。

ほとんどまるで週刊文春の執拗なジャニー喜多川醜聞の如し。それがチベット仏教の最高指導者で少年への「舌吸ひ」求めとは。ダライラマ中共に叩かれるところだが中共で少なくとも習近平中共で少年団の子どもらに舌吸ひは強要しないだらう。このダライラマ少年愛玩は中共のとつてはほんとうにありがたい福音のはず。これをしてダライラマ=ホモ説が賑はつてゐるが稚児寵愛は耶蘇の神父にも見られるところ。ダライラマなら「これは仏教の大舌相に基づくもの」とでも反論すれば宜からう。釈迦は舌が軟薄で広く長く、口から出すと髪の生え際にまで届く。しかも、口に入っても一杯にはならない……といはれてゐる。長広舌ともいふ。ダライラマも長広舌で、それを吸へば少年に徳が授けられるとでもしたら何うかしら。