富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

左近の桜

癸卯年二月廿五日。気温摂氏4.3/20.8度。晴。資生堂の春の化粧品デー開始で10%ポイント還元(31日まで)。今日は何だか警察が出てゐたりと思つたら、これ。

この「左近の桜」復活の寄付金にアタシも金一万円を供してゐた。寄付目標額が2500万円だといふので(実際には2900万円集まる)相当なサイズの左近の桜の苗が送られるのかと思つてゐたが思つた以上に小さなもの。植樹式典も含め電通の中抜きでもあつたのかしら。

中勘助(1885~1965)は代表作『銀の匙』も読んでゐないが岩波書店『図書』で2015年に菊野美恵子の中勘助評伝「もう一つの中勘助」が6回?にわたり連載されてゐて、その最終回(12月号)を読む。普段、詩など読んでも一つも感動もしないアタシが勘助の詩にはすこしうっとり。勘助は昭和40ねんの4月28日にクモ幕下出血発症して5月3日に亡くなるが、その発症の4日前の朝日新聞にこんな散文を残してゐる。

彼岸もすぎて快適の季節になった。花もさいた。若葉ももえた。手当り次第に書物を取出し気まかせに読んで日を暮らす。ささやかな楽園である。

この『図書』で連載の斎藤美奈子「文庫解説を読む」⑰「理解不能な解説は薄目を開けて読め」は小林秀雄について。

小林秀雄はかつて「試験に出る評論文」の代表選手だったのだ。試験に出る評論文の条件は名文であることではない。「論旨がわかりにくいこと」である。

江藤淳の解説についても実に面白い。