富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

壬寅年十二月廿二

気温摂氏▲1.2/16.4度。快晴。ぎっくり腰3日目で今日も一日立つたまゝ過ごす。本日陽暦で「13日の金曜日*1」だが、それを話題にすることは最近はほとんどなくなつた……と思つたら陋巷ではいまだに13日の金曜日だけ弁当で弁当の蓋を開けたときに「あっと驚く」ジェイソン弁当なるものがあるさう。

何だか今日から水府で籠球のオールスター試合 B.LEAGUE ALL-STAR GAME 2023 IN MITO といふのがあるさう。スポーツといへば相撲くらゐしか関心がないのでよくわからないが市中ではこのイベントでの「盛り上がり」と経済効果が期待されてゐる。冷静に考へると4千人規模のイベントで地元の愛籠家?除くとどれほどの経済効果あるのかよくわからないが兎に角これまでコロナで鎮まりかえつてゐたので何かしらの起爆剤にはなるのか知ら。市街では再開発前の休閑地にあるMスポといふ施設でPB(パブリックビューイング)もあつて人々が集まつてゐる(この画像は試合開始前でまだ人が少ない)。

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先日、久が原T君がネットに上げてゐた文庫本の一節が秀和さんのもので出典は何だつたか知らと思つたら『私の時間』でこれを再読。吉田秀和私の時間』中公文庫。「洒脱」とはまさにこれ。かういふ本は数年に一回、人生に何度でもふと読み返すことができる。いくつか今回面白いと思つたこと。秀和先生は震災はその前の年に日本橋蛎殻町から大森に転居して(父は日本橋で開業医)震災の被害危ふく免れたが当時は大森から「東京は」「東京に行くと」。荏原郡大森町東京市編入され大森区となるのは昭和7年。子どもの頃から相撲が好きで吉田先生は好角家として相撲のテレビ中継を楽しみにしてゐたが平幕の力士が大敵を倒してインタビュー受け「考へた作戦でしたか?」などと尋ねられると「いや、夢中でした。どうやって勝つたのかまるでわかりません」と答へるが、あれは「成功はなるべく控え目に示し負けた相手に遠慮しようといふ一種の謙遜の儀礼」で「無心、無策」が貴ばれる、さおいふ価値観の体系があるといふ。「勝敗を離れて無念無想、力のかぎりを出し尽くして戦うのが尊いとする思想」があるといふ。

「考え」を貶めるのか? それは恐らく「考え」が自分ひとりの一時の得失を計るものとされるからであり、逆に「無念無想」のほうは、そういった小我を離れて、もっと大きな真実につながるものであり、それこそ人間が信頼してよいものとされているからではなかろうか?
私は、こういう考え方が、どこから生まれ、どういう経過で日本人の思考のひとつの伝統になったのか知らない。しかし同じものは何も相撲その他のこの国に古くからあったものばかりではく新しく入ってきたものにも見いだされるように思われる。

と秀和さんはテレビで盛んに子どもを出すのは子どものもつ(とされる)無心さの利用で、音楽でもさうした「無心夢想」を貴ぶ風潮がある、と。これが洒脱で、たまらない。

どうして人間は、こんな具合に仕事を続けていられるのだろうか?という疑問が私のなかでだんだん抜きがたい力で大きくなってきているのは事実である。
人間のなかには、つくることによって、表現することによって自他に証明しようとする欲求、証明してみせなければいられない何ものかがあるのであろう。それが公衆によく伝わらない芸術とはなんだろうか?
私はときどき自分たちは「芸術」という名にだまされて、そこに何か大切なものがあると信じていればこそ平気でこうやっているだけの話で、実際は「芸術」なんてとっくに死んでしまったか、あるいは、いるとすれば、まるでちがうところで探さなければならないのに、それに気づかずにいるにすぎないのではないかという気がする。ここには、何か「嘘」があるような気がしてならない。

日本の戦後を代表する音楽の評論家のこの言葉をゆっくりと読んで、この本を閉じた。またいつか本を開く日まで、さやうなら。

*1:13日が金曜日になる確率は「7つの曜日のうち金曜日になる確率」なので、おおざっぱに考えれば1/7となる。 1年に12回の「13日」があるので、おおざっぱに言えば、その確率は12/7つまり確率上「13日の金曜日」は1年に1.7回くることになります。