富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

磯崎新『建築の解体 - 1968年の建築情況』(鹿島出版会)

壬寅年十二月廿三。気温摂氏4/12.2度。曇。お湿り程度の雨。夕方から濃霧。

磯崎新建築の解体 - 1968年の建築情況』(鹿島出版会)読む。何とも饒舌。言葉つまり思想なのだらうが止めどなく溢れてくるから。

〈はじまり〉を捜していたはずのラディカリズムは、その〈はじまり〉を根源とみなして照射するためにデザインのような産業社会がみずからの生産物にかたちを与えるために算出した職業領域は産業社会のエスタブリッシュされた制度を批判するときには自らも否定せねばらないという自己言及的な批判を加えられていくことを知ることになる。反万博で又裂きになるなんて、このデザインの成立の根源への問いに比べれば大したことではない。デザインそして建築、都市それらが同様の精度を組み立てており、その制度によってデザイナーや建築家たちが保障されていながら、その制度に〈死=おわり〉を宣言せねばらないとするならば、その宣言の刃の行き先は宣言する本人に向けられてしまう。自刃や銃撃戦でそのラディカリズムの形式を全うするのもひとつの解決法だらう。私たちはそんな事件をその後にいくつもみることになる。だが相手は単に天皇制や国家といったすでにダメージを受けながらも沈没せずにいる相手をテロルによってトドメをさそうという類いではなく私たちの存在の基盤をみずから破壊することによっておそらく職業的に自死せざるを得なくしたあげくに再生可能か否かを問うことでもある。

1968年の文革やヒッピー文化、ヴェトナム恒生、東欧の自由化への波、日本では学園紛争、反万博の動きの時代。そこでこれだけ「見えてしまっていた」のに、それでもポストモダンまで建築で表現を続けてこられるといふこと。アタシにはごめんなさい、わからない。

建築の解体―一九六八年の建築情況