富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

北沢憲昭『眼の神殿 -「美術」受容史ノート』

陰暦九月廿二日。気温摂氏16.5/22.4度。曇。家人の駅ビルのクリニックでのワクチン接種(オミクロン対応のなんだとか)に付き合ひ無印で来年のカレンダーとか買ひ物済ませてお昼は市役所近くの〈カルマ〉でカレーを飰す。食べログで東日本のカレーの百名店なんださう。二度目。

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無印で購入した文書ファイルに謡曲のコピーやチラシなど整理。古書で大成版観世流謡曲百番集をネットで注文。陋宅から車なら10分ほどのところにある喜楽里別邸といふ超級銭湯の部類だが天然温泉のお風呂へ。露天風呂からは那珂川の北側の台地の崖上にあり眼下に田園風景、その向かふに水戸の高台の市街が眺められる。なか/\よい景色。暑くも寒くもない春秋の季節。夜は冷凍物だけどムール貝などで白ワイン。北沢憲昭著『眼の神殿 -「美術」受容史ノート』(美術出版社)読了。美術史を語る上でとても重要な著作だと聞いて一読。話は高橋由一の「螺旋展画閣」から始まる。由一といえば〈鮭〉が有名だがアタシは〈花魁〉を初めて見たときの衝撃が大。北沢憲昭にいはせれば〈花魁〉に於いて由一は「その時代においてのみ可能な表現を典型的なかたちで実現した、というより、幸福にも実現してしまったのである」。御意。明治期の日本が近代国家として制度化されてゆくなかで「美術」が生まれ西洋絵画はまさにその美術といふ装置のなかで国家主義の表現に取り込まれてゆくのだが明治5年に由一が描いてしまつた〈花魁〉である。その由一が構想したのが螺旋式に建物の中を上がつてゆくことで絵画を愛でることができる建物で北沢憲昭はそこから絵画を「見せる」システムの誕生を語る。それから先のところはフーコー的な思想の展開で『監獄の誕生』とか読んでゐればわかるところ。美術史に関する著作なのだが「封建主義が保守的な風潮に「接木」されることによりやがて国家主義が醸成されてゆく」とか思考が面白い。著者は「制度としての美術」といふ考への展開としてテキストにするのがいきなり三木清だつたり。

法律のみでなく、あらゆる制度的なものはノモスの意味を有してゐる。芸術の如きですら制度と見られることができる。例へば芸術における古典とは何であるか。古典とは我々の趣味にとつて基準となり、我々の制作にとつて模範となるものである、言ひ換へると、それはノモス的なものである。かゝるものとして古典は明かに価値高き作品でなければならぬ。しかもそれの有する価値が伝統的に、従つて慣習的に定まつてゐるといふことが古典の一つの特徴である。古典が古典といはれる価値は我々が一々批評した上で定めたものではない。却つて我々は古典に據つて我々の趣味を教育し、その基準を定めるのである。

古典の意義について畏友村上湛君が澱みなく言ひ放たれさうな文言だが三木清「構想力の論理」より。明治になるまで日本に「古典」は存在せず当然「美術」といふ概念もなかつた。それが「古典」とされたのは明白なことだが「近代」が誕生したから。岡本太郎は縄文までワープしてしまつた。「美術」といふ institusion(制度)は(この国においてもまた)美術の institusion(公共建築)*1を通じて実現されてゆくのは明治期の建築の展開を見れば全かなこと。制度としての美術の体系化、規範化が浸透すると、それが一般化して疑ひのない概念となる。国家主義も同様。それが全て「視覚」を通して行はれてゆく。そこまでわかると、だから、この『眼の神殿』といふ些か突飛な本のタイトルも合点がゆくといふもの。

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今もつて近代の国家主義の実現に挑戦する中共習近平体制は実にお見事としか言ひやうなし。

*1:当時、創作的活動が広く「美術」であり建築設計もまたその範疇にあつた。