陰暦五月六日。気温摂氏12.8/22.8度。晴。
水戸桜川千本桜プロジェクト。水戸といふと偕楽園で「梅」だが桜も古来から見事で偕楽園もじつは桜山を望み桜を愛でる景観あり。桜川の河岸は桜も見事だがまた桜の景観を復活しようといふのが、このプロジェクトで桜の植樹などの活動を続けてゐる。このプロジェクトで本日、講演あり非会員も参観させていたゞいた。講師は県立歴史館研究員の永井博氏。
①梅は実用であり一つの花、一枝を楽しむもので梅林を景観として愛でず。斉昭公はむしろ偕楽園から眺める桜山の桜を意識。
②偕楽園は表門から入ると「陰から陽」といはれるが陰陽は相対であり「陰から陽」に非ず。表門から入つて今は杉など鬱蒼としてゐるが昔は視界も遠くまで眺められ桜山の玉龍泉まで見渡すことができたのではないか。
③好文亭(楽寿楼)からの眺望は桜山の桜を眺める視界と千波湖の景観への視界があり正面の松がその区堺の軸。
偕楽園の崖も桜山も樹木が生ひ茂り森林公園のやうで、あれでは桜など愛でるかつての景観からは程遠い。「緑化」も大切かもしれないが、この偕楽園の環境はかつての景観維持を優先すべきではないか……御意。
このプロジェクト代表からも永井氏からも「原さんがいらっしゃったら」と名前が出たのが原祐一氏(研究者記録)で東京大学の埋蔵文化財調査室で助手をされてゐたが2020年正月に急逝。斉昭公の向丘記碑*1についての立派な活動記録あり(こちら)。