富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦四月十四日

農暦四月十四日。雨のち曇り。気温摂氏16.3/26度。午前中降雨(8.5mm)午後曇り。

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乃南アサ美麗島紀行』(集英社2015年新刊)読む。良質の台湾の物語である。著者はそれまで取材や旅行で台湾を何度か訪れてはゐたが311(東日本大震災)で台湾が30億円近い援助金を供出したことに強い驚きをもち台湾の人々をより知つてみたいと思つたことがこの台湾を物語る契機になつたのだといふ。台湾の喜びと悲哀。台湾には二度大きな「独立の機会」があつた。二度目の日本の敗戦と国民党入台の権力空白の時期の台湾共和国独立もさうだつたが余り知られてゐないのは明治28年日清戦争後の下関条約で台湾が清から日本に割譲される決定になつた当時、清の巡撫職で台湾にあつた唐景松を担ぎフランス軍*1の支援を得て台湾独立を目指す動きあり独立示す外交文書を在台の各国領事館に送り国旗や「永清」といふ年号も決め同年5月23日に「台湾民主国」独立したが日本軍の上陸を前に対日抵抗に及び腰の唐景松は巡撫府の資金を上海に移し厦門出張を理由に台湾を離れてしまつたのださう。これにより独立の機会を逸し日本統治に至る。

原武史「歓迎が難しい車移動」朝日新聞 

車による移動にはダイヤがない。(秋篠宮夫妻が)いつどのようにして神宮に着くか知らされなければ沿道で迎えることができなくなる。(略)今回のスタイルは例外にすぎないかもしれない。(しかし)それが定着すれば皇室と人々の関係は希薄になり象徴天皇制の基盤が揺らぎかねない。たとえ秋篠宮夫妻が鉄道による地方訪問を再開できても密集を考慮すれば天皇夫妻が再開するのは難しいだろう。

▼トランプ氏が今も大統領ならプーチン氏を止められたか - ジョン=ボルトン大統領補佐官(国家安全保障担当)朝日新聞

ロシアがジョージアに侵攻したあと我々はほぼ何もしませんでした。ロシアが初めてウクライナに侵攻した後もほとんど何もしなかった。(抑止力は)時間をかけて積み上げていくものなのです。プーチン大統領は「ソ連の崩壊は20世紀最大の地政学的な惨事だった」と言いましたが私たちはそれを十分に真剣に受け止めていなかった。明らかに彼がやっていることはロシア帝国を再建することです。またプーチン氏だけでなく多くのロシア人が(ソ連崩壊で)「母なるロシアが引き裂かれた」と考えウクライナなどの地域に戻ってきて欲しいと思っている。私たちはそれも真剣に受け止めていなかったと思います。

▼首相動静(13日)ホテルニューオータニの日本料理店「千羽鶴」で麻生マンガ太郎、幹事長茂木某、官房長官松野某と昼飯。晩は日テレ御用報道番組収録ののちオテル・ドゥ・ミクニで内閣の古呂奈担当者らで夕飯。赤坂のコンビニ(セブンイレブン赤坂1丁目店)で電子マネーをチャージしてみせ公邸。

*1:明治12年に越南権益巡り清仏戦争あり仏軍は台湾の基隆や淡水に上陸し軍力を置いてゐた。