富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

陰暦二月初七

陰暦二月初七。気温摂氏▲0.4/11.1度。晴。お昼ごはんを西アジア出身の17歳男子と食べることになつたがチキンとかでもハラールぢゃないとダメといふことで水府ではハラールで供す飲食店もなく、さて何うしようといふことになつたが少年が「寿司とか生のサカナなら大丈夫」だといふので「他には?」と尋ねたら「天ぷら」だといふ。
ムスリム両後者向け料理ノウハウ集(伊勢志摩)
そのへんでサンドイッチでも食べるつもりで「今日はご馳走するから」と言つてゐたら、この反応であつた。なかなか頼もしいもので結局、天ぷらを喜んでいたゞけた。会計のときに「自分が払ひます」と言って財布からさっとピン札で5千円だしてきたところなぞ、じつにデキる青年だと感心しきり。

昨日久々に『小山三ひとり語り』再読。『演劇界』の連載をまとめて2014年に新刊となり日記で見返すと、その年に読んで歌舞伎好きのご婦人に貸して返してもらつたのか、そのまゝか返してもらつてゐたにしても倉庫の段ボール箱にしまつたまゝで今回は図書館から借書。それにしても何度読んでも面白い。子役で六代目や初代吉右衛門、寿海Ⅲと「共演」してゐる。本当に面白いネタが尽きない語りだが白眉は「成駒屋の手料理」で戦時中に相模原の郊外に疎開してゐる大成駒のところを訪ねたら大旦那自ら台所に立つて料理を拵へてくれたのだといふ。成駒屋の舞台でのお役の話も面白い。小山三さん逝去(2015年5月)の報に久が原T君が「下手に近づくとケガをするアブナイ女形」と形容したのはまことに妙。

苦役列車

西村賢太苦役列車』(新潮社)
2011年春の芥川賞受賞作。著者本人の私小説で「中卒でこんな生活をしてゐたのか」と驚くが、これも自然主義文学だとか私小説の今日の形なのか、たゞありのまゝを書くこと(自然主義)に私小説といふディスクールとなると〈美化〉が絡んできて「墜落」も美化の裏返しで、いずれにせよ「自分がかはいゝ」わけで、殊にこの小説の場合この主人公がボトムレスの逆境にありながら我々は、この主人公がかうした生活体験の末に芥川賞作家になることを知つてゐるから「これでもか」の貧困も十六、七での酒、タバコと買淫も全てがその修行のやうで読んでゐて悲惨さも食傷気味に感じられたのも事実。しかも途中から友人もできるとフツーのグローイングアップ的な青春小説にも思へもした。これは当時の芥川賞発表の『文藝春秋』も読んでみて著者が敬愛する慎太郎ら選考者の評もぜひ読んでみたいところ。それにしても所謂、中卒で、それはそれで良いのだが、その主人公=著者本人の行動を描くときに「黽勉」や「孜々」なんて言葉が浮はついてゐるし「でもぼくの無断欠勤よりか、おめえのそのやりくちは、少々狡獪だね」なんて十代の若者が口にするかよ、とさういふことばかり気になつてしまつた(アタシが人足仕事の現場で「コーカイ」と耳にしたら「後悔」しか思い浮かばないだらう)。この小説のアトに『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』といふ新潮社の編集者に対する恨み、つらみ、川端康成賞をとれるか、とれないかの怨念の話(これを小説と呼べるか何うか?)がついてゐる。それは新潮社の文芸誌『新潮』の2010年11号に掲載されたもので(その翌月号に『苦役列車』である)新潮社が社をこゝまで侮辱されても良しとしたのは見識といふものか、それにしても何だか読んでゐてこちらの気持ちまで荒んでしまひ(といふか「売れたんだから」感が貧しいものに思へてしまつて)書架に今この人の日記が2巻あるのだが開かなくても良いかすら悩むところ。それに比べ高田文夫先生の〈ビバリー〉に出演したときの、芥川賞受賞直後のこの作家の弾け具合が、その明るさがいつまでも耳に残つてたまらない。『落ちぶれて』に主人公(著者)が「余計な検査をされて重篤な病巣が見つかり、死に至る入院の運びになるのを恐れている」とあり。それを思ふと病床に臥せることもなくタクシーのなかで急死はこの人にとつて幸せなことだつたかもしれない。

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疫病猖獗の香港で香港大学の専門家が今回の第五波で香港での感染は最大430万人と発表。香港の人口の半数である。香港市役所のジレンマは感染拡大防止には全市民検疫だが仮に150万人感染といつた結果の場合、現状でもすでに医療崩壊なのに感染者を何う治療するか。その場合にもはや「送中」しか結論ないのでは? 香港の民主化運動で最初のスローガンであつた送中反対がこんなことにならうとは。