富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

東京五輪まであと1日

農暦六月十三日。大暑。今日が今年は「海の日」ださう。 


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割れたご飯茶碗を何うせなら金つぎしてみよう。まずは漆糊で割れた陶器をくつける作業。これで数日、寝かせるのだが缶箱に入れてみたら何だか〈2001年宇宙の旅〉みたいだ。
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猛暑だが水府は海の方からの東風が幸はひ心地よい。こんな日は読書にかぎる。

■ 野村敏雄『新宿うら町おもてまち』(朝日新聞社

野村敏雄は1926年11月28日生まれだから大正生まれの最後。新宿生まれ育ちで華園小学校*1の世代。内藤新宿の頃から戦後の新宿の変貌まで実に面白い。著者が生まれたのは旭町。旭町がどのやうに社会的に「ドヤ街」にされていつたのか、の記載には当然、力が入る。戦前、新宿の発展で繁華街に点在した簡易旅館を全て玉川上水の向かふ側に強制移動。甲州街道の南側には御苑があつて隣の石鹸工場すら設営不許可だつたのに近くにドヤ街は置けるのが〈聖−貧〉の興味深いところ。娼妓について。「検査日」になると遊郭の娼妓たちが遣り手ばゝあに連れられ警察病院に出かけるのは見物人が出るほど。検査が終わるとおばさんは、何足かの下駄をぶら下げ「困っちまったよ、今日は三人も入院させられちまったんだから……」などと愚痴りながら帰ってゆく姿……なんて想像に易いところ。ちなみに警察は今の伊勢丹の横、三井住友銀行の角を入った先。「……は、よせよ」に「よせは新宿三丁目、警察横丁つきあたり」といつても今ぢゃ新宿でも通じないかもしれない。「よせ」の寄席は末廣亭だが今の場所に移る前で明治通り(当時はまだないが)の西側の横丁にあつた。

石川九楊・編集『書の宇宙〈22〉古代への憧憬・清代諸家(2)』(二玄社

書の宇宙〈22〉古代への憧憬・清代諸家(2)

先日、石川九楊先生の書史二冊読み中国書史に郭沫若そして何よりも毛澤東の書についての記述がないと思つたが九楊先生編集の『書の宇宙』といふ書誌で清末を特集した号の最後に毛澤東の「狂草体」に関する評論があることがわかつて、それを読んでみる。これを書いたのは草森紳一(1938〜2008)であつた……納得。「世界を軽んず 毛沢東における狂草そして楚辞」といふ題だけで全てを語つてしまつてゐる。毛沢東といへば、あの生涯、政治実践そして書体も中国の書法のなかでも抜きん出て誰も真似できないやうな、とんでもない個性的な書体に圧倒される。何度でもいふが中国近代代表する知性の郭沫若が、書家としても超一流であるが自分の書斎に毛沢東の書を額にして掲げてゐるのは国家主席に対する諂ひではなく「降参」のやうに思へてならない。あんな書を書かれてしまつては手も足もでない。理屈も通らず幽閉してもまた天から降つてくるだらう。事実、毛沢東が毛字体ともいへる豪快な狂草の書体を用ゐだしたのは大躍進失敗後の失脚期で、大量の重要な記述を送り出して、その後、文革で復活する。縦書きすら封建時代の悪習とされた時代(横書きは中国語ですつかり定着してゐて今どき縦書きをする人もゐない)。

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行書は叢書でもアタシたちが普通に受け入れられるのは例へば趙之謙のこの「呉鎮詩四屏」とか(▼)。郭沫若周恩来の書もハイドンの音楽のやう。
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それが毛沢東の書状になるとかうなる(▼)これはもはや「狂草」といふレベルの書体だが毛沢東の生前これを日本の研究者も忖度か「狂」とはいへず福本和夫*2も『毛沢東思想の原点』の中で「毛沢東の破格の書風」といつてゐる。


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毛沢東の蒐集した漢籍の法帖。文革で四舊破壊運動が叫ばれ紅衛兵が全土で法帖を焚書するなか中南海毛沢東の宿舎では書斎の壁に法帖の数々。古典の独占。

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これまでの書家にとつて書法はみずからの人生、思想そのものであり、どれだけ納得のゆく自己の文字を書き残せるか、が重要。だが毛沢東にとつては「狂草の揮毫は建国以後の戦略の練習であつた」(草森紳一)で書法すら自分の戦略の一つとして使へるツールであり書法の毛沢東にとつての政治的実践の一つでしかなかつたのだらう。であるから、あれだけ「勝手に」文字を操ることができたとするべきか。

東京五輪までいよ/\あと1日。「これでもか」といふほどに連日醜聞続きで明日の 開会式は怖いもの見たさで視聴率はきつと上がるだらう。

スガがIOC総会で「夢と希望、感動と勇気与えてくれる」 開会宣言、五輪成功を約束(デイリースポーツ)

スガはもう思考回路バーストで怖いものも何もないのだらう。パラリンピックでは感染状況に変化(改善)があれば「有観客で」なんて宣つてみせる(朝日新聞)。

オリンピック【Olympic】(「オリンピアの」の意)

古代ギリシア人がオリンピア祭に催した運動・詩・音楽などの祭典競技大会。古代オリンピック

国際オリンピック委員会IOC)という金満イカサマ興行師団が各国の勧進元(胴元)騙くらかして4年ごとに開催する近代の国際的スポーツ競技大会。

松尾貴史さんが呟いてゐてなるほどと思つたが台湾のAudrey Tang(唐鳳)の名前(鳳)は「おほとり」と読めないか、と……なるほど。その発想に啓助、ぢゃない敬服。

官房副長官杉田某今月25日で在職最長3,134日の由。もはやといふか再登板から「老害」。 https://t.co/UHzZJ0jg6J 荒俣『帝都物語』や大友『AKIRA』で政府の悪役で十分のニンである。

▼中国河南省で千年に一度の豪雨で洪水災害、死亡33人と少ないことはきちんと評価すべき。地下鉄水害の鄭州だけで人口1千万人……これも死者数隠蔽とかどうせいはれるのだらうが。

*1:華園小学校は今の花園小学校かといへば間接的にはさうなのだが華園小学校は四谷第五小学校になり、それが統廃合で四谷第七小学校と一緒になつて四谷七小が今の花園小。本来は歌舞伎町で花園神社隣接の四谷五小が場所的には花園小だが今は昭和モダンの建物がそのまゝ吉本興業東京事務所になつてゐる。

*2:福本和夫(1894〜1983)戦前の日共からのマルクス主義活動家で経済学者だが『北斎論』や『幸田露伴論』など文芸評論に名著あり。