富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

武田百合子『遊覧』


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昨年……ぢゃない、もう一昨年なのか反送中派の空港占拠中に場内に紛れこんだ自称新聞記者の中共人士が身元疑はれ抗議派の若者らに吊るし上げられた件、この男は警察に救ひ出され軽傷程度だつたが暴行の首謀者とされる3人に暴動罪で懲役51~66か月の判決。国安法関連といふことで司法はもはや独自の司法判断ができず律政司の判断で重刑が求められるのだらう。
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水府でチェーン店「かつさと」開業が地味に話題となるのは、その立地が今なら郊外のバイパス沿ひが当たり前のところ旧市街・南町3の元商店街に開業のゆゑ。サンクスとかマツモトキヨシだつたかドラッグストアも退散してゐる物件。駐車場なしで商売になるのか?が北関東の常識で今の時代、集客が悪いうえに家賃だけは高い旧市街など出店は二の足を踏むところ。和食チェーンの「さと」がカツやで「かつさと」ださうで500円+税の廉価だと思ふと、これくらゐのカツ丼なら大したもの。ランチで豚汁がつくセットは600円+税でした。

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水戸八幡宮参拝。神仏への信心はあまりないのだが香港では古札返納もできず、いくつかお札が陋宅にあり本当ならその寺社にお護り感謝で返納すべきなのだらうが、さうもいかず八幡さんに。この八幡宮はアタシの小学校の学区内で親しみもあり父母の結婚もこちらの神前で。さらに遡れば、この八幡大神は元々は佐竹氏の氏神佐竹義宣が水戸の江戸氏(やゝこしい)を滅ぼし水戸に城を構へる際に常陸太田の馬場八幡宮より水戸城内に奉斎したもので、当時の八幡宮があつたところが偶然にもアタシの今の寓居。光圀公が藩主のときに寺社政策で八幡宮は水戸から那珂西(旧常北町)に移され18世紀初にまた水戸(現在の場所)に遷座。境内の杉林に西陽があつただけで何処か神々しく思へるから不思議。
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自家製餃子で小皿に酢を垂らして石垣島土産の辣油を加えたら見事に割れた。

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今日、木村屋本店にはもう桜餅が出てゐた。水戸は長命寺のだが、これも如何せん桃色が強すぎる。正月は新春で……といつてもまだ陰暦では十一月末で春はさすがにまだ遠すぎる。

武田百合子全作品(6) 遊覧日記(ちくま文庫)

突然、武田百合子を読んだ。旦那の泰淳すら読んだこともないのに。ふと出歩いた出先での随筆『遊覧』。人間として素敵だ、そして文章が超絶に上手い。

ぐうんと電気を入れる音とともに歯車の噛み合う音がはじまる。その方角を見上げると、背広をきちんと着て鞄をしっかり抱えこんだ男が、一人恥ずかしそうに、ジェット・コースターの一番前の席に乗り込むところである。男が腰を下ろすやいなや、ジェット・コースターは、狭い花屋敷のぐるりを、軌道から飛び出してしまいそうな危なっかしい勢いで、逆立つ髪、口が開きっ放しの横顔、ちぎれんばかりひるがえるネクタイの、硬直した男をたった一人乗せて、小食堂の二階の裏側の窓硝子をひりひり震わせ、クリーニング屋の崩れかかった物干台や銀杏の樹、藤棚や桜の気を掠め揺さぶり、黄葉を散りとばして、あっという間に一周、静かになる。(浅草花屋敷)

見事としか云ひやうのない花屋敷のジェットコースターの描写。「狭い花屋敷のぐるりを」がよいぢゃないか。泰淳が亡くなるまで文章を外に出してゐない……で、これだ。親しい相手が埴谷雄高深沢七郎村松友視大岡昇平色川武大吉行淳之介辻邦生いいだももに女優加藤治子。そりゃさうなるわ。


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この『遊覧』はベタに浅草から始まるが、それよりこれを連載させた小原流『挿花』も大したものだが「青山」も今の青山とは違ふ、戦後の罹災者住宅の老婆を尋ねる話。「京都」だつて生半可な京都ぢゃない。最後に『文藝』に掲載された「京都」と最後に「あの頃」といふ文章が加へられてゐるが戦後の当時を回顧するダイナミックな「あの頃」は『東京人』で読んでいた……と今ころになつて気づいた。

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『東京人』といへば同誌最新号の特集が「駅を楽しむ」。令和の今に様相を丸っきし変へようとしてゐる澁谷も東急会館やアタシの大好きだつた東急文化会館が板倉準三の作品で更に新宿駅西口のあの〈近代〉も板倉先生なのだとは今日まで知らず。

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先日、柏木の寺に掃墓に出向き久々に新宿西口を抜けたが戦後のあの風景も小田急のビルが大規模な再開発となるやうで子どものころから親しみのある、あの戦後も記憶の彼方となるのだらう。それにしても、この大階段、何も気にせず上下してゐたが、こんな機能美だつたとは。 

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この『東京人』に「昭和三十年、駅頭に色が戻った「銀行員画家」が残した復興に浮き立つ駅前風景」(乾純)といふ記事があり三和銀行の支店開業するたびに描かれた駅前風景あり。新宿は駅前といふには追分で距離があるがほてい屋(伊勢丹)の向かふにあつた三和銀行が懐かしい。アタシがジュクで遊び出した頃にはもう取り壊されてセゾンプラザになつてゐた。地下に〈鉄ちゃん〉だつたか鉄火丼など丼ぶりの寿司を安く食はせる肆があつた。

▼今日は本のことばかり書いてゐるが今日は土曜日。朝日新聞の読書欄が日曜から土曜になつたのはいつくらゐ前かしら。読書欄は日曜にゆつくり読む習慣だつたので土曜への引っ越しは何だか馴染まずにゐたが今となつては土曜に新書が紹介されることで興味ある書籍ならすぐに入手して週末に読めるわけで欧米紙も週末は日曜休刊だから土曜に出る週末版に読書欄があつて愉しいところ。今日の朝日の読書欄で石川健治先生の書評が可笑しかつた。

毛色を基準としがちな飼い猫の名付けは、帝国主義的心性の投影であり(小森陽一)、「介護形態」としての野良猫保護の発想が、帝国主義経験の植民地後(ポストコロニアル)の変形なのだとすれば(小野塚知二)、彼らにも「被造物の尊厳」(スイス憲法)を承認できるか否かは、人間社会自体の構造を問うことと同義である。

なんだ、これは……みうらじゅん先生並みに可笑しい。

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