富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦正月初六


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武汉から来港の老夫婦武肺患者で香港にて隔離されるまで六日間「播毒」かと騒がれる。宿泊は尖沙咀の九龍站上にあるW Hotelの高層階、そのあと同じ開発区の摩天楼ICCにあるRitz-Carlton Hotelに移らうとしたが武汉者といふことで宿泊能はず香港島に渡り中環のFour Seasons Hotelに下榻のところ数時間後に商場悪化での搬送。武汉疫禍のなか香港に来て超高級ホテル連泊で富裕層かと思へば娘が香港在住。その娘を「新移民」と呼ぶメディアもあるが娘は上海系証券会社の投資職で住まひも油麻地の御金・國峯(The Coronation)といふ名前も何とも成金ぽい高級マンション住まひで香港にて中国資金動かす我が世の春。この娘が両親を疫禍の武汉から香港に迎へ急正月でもあり両親のホテルに同居。でこの娘も本日、感染見つかる。実に今の大陸の金満と香港の関係がよく表れた事例。

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毎年、春節直後は食料品や生活用品の供給が滞り小売店は品薄に。今年はそれに武肺が災ひして市民の漂白剤や消毒液、食料品の買ひ求めに拍車かゝり超級市場はかなりの品薄に。 


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先週、香港市役所が感染者と接触した医療関係者などに感染の疑ひある場合、一時的にそれらを収容し経過観察する施設を深圳に近い粉嶺の新築で未入居の団地建物で対応と発表のところ付近に万単位の住民ゐることから地元で反対運動が起き、これは建制派も民主派も議員の意思が一致し政府もこの計画を止むを得ず中止に。それに対してLIHKGのサイトにあつた意見だが「禮賓府旁咪有間廢置醫院 可以做隔離中心」といふ意見。港中醫院(Hong Kong Central Hospital)は1966年に創立で数年前に閉鎖となつた私立病院で中環の一等地にまだ建物がそのまま(写真下)。そこをその一時観察施設に転用すればよいだらうと。名案。林郑官邸に隣接で林郑による慰安、見舞ひにも便利である。

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今日の信報・林行止専欄が指摘してゐたがSARSと今回の武肺でウイルスの意欲も違ふのだらうがSARS疫禍で広東省は当時、1日の鉄道利用者が20万人そこ/\だつたのが今の武漢は45万人だとかで高鉄網も整備著しく人々の移動頻繁で而も旧正月に当たりSARSのときに「広州脱出」はなかつたが今回の500万人といふ武汉脱出劇。海外への飛行機での渡航者はSARSの時に中国全体で日に3〜4万人だつたのが今では20.5万人/日(2018年)なのだといふ。これほどの〈交通〉で疫病が広がるはずがない。


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そのやうな状況では防疫のためヒトの移動を制限するしかないのだが林郑(写真左上)は中共との往来を完全封鎖に応じない。

特首林鄭月娥任內除咗搞出反送中運動,佢處理武漢肺炎嘅手法,亦差到連著名堪輿學家楊天命都忍唔住冒住風險向中共國家主席習近平上書進諫,要求盡快炒林鄭魷魚。

林郑に勝るとも劣らず悪相の葉劉(写真右上)も大陸との交通封鎖に反対で禁マスク法貫徹の意識表示か立法会の防疫討論でも頑なにマスク着用せず。顔が怖いのだからマスクしてほしい。林郑と葉劉の悪相をお札にして貼つておけば武肺ウイルスも怖がつて撤退するのでは?といふ気もしないではないが見てゐたくない悪相なり。


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(左上漫画)香港の行政長官は初代・董建華基本法23条に基づく国家安全立法反対の50万人デモに倒れ二代目の貧官曽は任期こそ全うしたが退任後に収賄で逮捕され三代目の党員梁は雨傘運動に遭遇で1期で退散。さて林郑は如何に。(右上漫画)武肺で防疫のため中国との交通封鎖手段取らず中途半端でマスクも半分だけの風刺。 


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各国の武肺防疫の対応を見れば中共と陸続きの香港の対応がいかに不十分かは一目瞭然。日本も言わずもがな。香港が感染例12に対して日本が14なのである(1月31日現在)。 

▼外をふらふらすることも時節柄憚られかういふときは陋宅にて静かに読書に限る。中島恵『中国人は見ている。』 (日経プレミアシリーズ)  はタイトルと何だつたか内容紹介の文章からして日本との往来頻繁となつた中国人が日本の習慣などを見て奇妙に思へることを面白可笑しくかいてゐるのだと思つて読み始めたら逆で中国に明るい著者が中国人の習慣や風習などを興味深く書いてゐる内容。それも何も知らない読者には興味深いことも遉がに中国人との付き合ひも長くて読むとあまり目新しいこともなし。その上で読んでいていくつか「ん?」と首を傾げるところも散見される。

中華人民共和国になってからもお茶は飲まれていたが、文化大革命の際、贅沢品の象徴として弾圧され、栽培が制限された時期があった。以後、お茶文化は香港や台湾にも広まり、現在では中国の福建省や台湾でさかんに栽培されている。

中国人の茶文化につき「中華人民共和国になってからもお茶は飲まれていたが」といふ表現もさうだし文革の混乱の「以後、お茶文化は香港や台湾にも広まり」とはあまりに不正確。香港や台湾の茶を好んで飲む習慣など昔からのことで文革後云々はない。広東人はプーアール茶を朝の飲茶の際など「1回の食事で50杯以上は飲んでいる」といふのも余りに誇大な表現。サントリーの烏龍茶で1990年代のテレビCMについての言及でも、1992年の話なのだが「当時中国に行く日本人はまだ多くなく、天安門事件後で日系企業も少なかった」と書いてゐるがこれも事実として何うか。訪中の日本人旅客数はさっと調べてみたら1992年は58万人で、その後増加の一途を辿り2010年の360万人をピークに、こゝ数年は250万人。確かに今に比べると1992年は少ないが、その年の海外渡航者数は1,179万人で行先が中国は4.9%である。これが2019年は海外渡航者数が1,895万人なので中国行きは13.2%と確かに中国行きは増えてゐる。しかし80年代から中国で外国人のなかでは日本人は多い方で1992年にはもう日本にとつて中国は竹のカーテンの向かふ側ではなかつたはず。「天安門事件後で日系企業も少なかった」といふのは天安門事件でビジネス引き揚げた日系企業などかなり少なかつたと思ふと、この表現も疑問の余地ありである。

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