富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

成田屋の團十郎襲名

農暦十二月初九。曇。海老蔵の来年初夏の團十郎襲名が朝から話題に。

実はこの襲名の話、一ヶ月程前だつたか木挽丁の事情通人からちらりと聞いてはゐたが一月十四日に発表といふ具体的な日も何故にこの日なのか、と思つただけだつたが今日になつてみたら日本は成人の日で祝日。朝9時からの歌舞伎座舞台(昼の部開場前)での海老蔵と息子の挨拶はテレビのワイドショーで生中継。晩に日テレで成田屋を追ふ特別番組ありと聞き松竹からマスコミにも周到な準備であつたことは驚きもしないが晩の番組も祝日なので通常の帯番組がないものゝの、どう仕込みテレビ欄に出してゐたのか、と思つたら当初から襲名抜キで成田屋の特別番組で予告か。なるほど。それにしても成田屋の襲名を東京五輪に合はせるとは。晩に日テレのその特番を見る。海老蔵の祖父にあたる團十郎XIが高麗屋の弁慶役者・幸四郎IXの子で、そこから團十郎XII、そしてこの海老蔵から息子まで嫡子には恵まれるが祖父も父もそれぞれ56歳、66歳と円熟期に亡くなり海老蔵は妻の早逝もあり特番で見る海老蔵の奮闘も大したものだが兎に角、その不幸続きをだうにか当代で打ち止めにしてもらひたいところ。この海老蔵の舞台をアタシが最初に見たのは新之助時代の16歳、1993年5月の歌舞伎座で初代辰之助七回忌追善興行のなか菅原伝授手習鏡の〈車引〉での松王丸。梅王丸が辰之助(現マツミドリ)、桜丸が丑之助(現・菊之助)で、まぁ華やかな舞台であつた。ところで今日のその記者会見、浄瑠璃K君曰く、海老蔵が息子の挨拶勧める際に「ひとことご挨拶させていただく所存でございます」というのは丁寧すぎるのでなく単純に誤りと。御意。かつて十二代目との巴里公演で口上で「市川海老蔵に存じまする」とやつた過去あり。何でもたゞ仰々しければ良いといふわけではない。海老蔵本人も特番で語つてゐたが歌舞伎代表する大名跡たる成田屋なのだから、何事も完ぺきでなければ。