富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2018-07-22

農暦六月初十。晴。午前中の気温は摂氏29度で季節風も爽やか、木陰は涼しいくらゐでジョギング。日本は異常な酷暑で「タイに避暑」の方もゐるとか。午睡。読書。高校時代に香港に住んでゐた南口昌平君の小説『鯰の庄右衛門』(幻冬社MC)読む。夕方、太古城の家電店で官邸での仕事用にヰンドウズ10対応のLENOVOの机上PC注文に出向く。ヰンドウズなど使ひたくもないのだが致し方なく。それもこれまで仕事で必要な某システムが2000年に導入したものだがWindows XPにしか対応してをらず仕方なく10年以上もXP使つてゐたが、そのシステムはメンテ終了で別大手のシステムへの移行勧められ、某日系大手銀行の出納システムも今どきInternet Explorerしか対応してゐなかつたものが改善されるさうで、この際やつとのことで新機種に。帰宅してから熱中症予防に(といひつゝ実は往復のミニバスも家電店のある商場も強烈な冷房で凍える程なのだが)ジントニック一盞。トニックウォーターは英国のFever Treeのもので昨日、大角咀のワイン商で、そこの亭主はジントニックにもこだわりあり仕入れてゐるもの。美味。レバーや韮、苦瓜など夏らしい夕食で焼酎は森の妖精。

インターネット上では同作と著者と出版社が袋だたきに遭っている。この著者が「美しい顔」をしていることさえ揶揄の対象だ。「美人」「芥川賞」「盗作」「震災」とバズワードが(役満のごとく)並べば、大炎上も不可避だろう。被災体験のない著者が、文学の専門家らに絶賛される震災小説を書いた。それほどの「想像力」の持ち主が、既刊本の記述の無断借用がもたらす事態を「想像」できなかったのだろうか? 信じ難い。あるいは確信犯的にやったのか? 被災体験者らの言葉を安易に借用しても、優れた震災小説など書ける。それが発覚して袋だたきに遭い、選考委員や時評家らは赤恥をかき、文芸誌や新人賞の信用は失墜し、文学の地盤が崩れようが、望むところ−−「震災の文学」ではなく、「文学に震災」をもたらすこと! そこまでの覚悟の上なら大したものだ。が、まあ、ありえない話か。ともあれ「美しい顔」をめぐる一件は、いわゆる「震災文学」を終わらせたと思う。東日本大震災は決して忘れられるべきではない。被災者に対する想像力を我々は手放してはならない。しかし「震災文学」という安直なくくりは、失効したのだ。今回の騒動がもたらした功績だろう。
鯰の庄右衛門

鯰の庄右衛門