富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2018-07-10

農暦五月廿七日。晴。早晩に尖沙咀。三笠屋にN君と飰す。刺し身と寿司メインにしたおまかせ。N君が来るの待つ間に鰭酒。食後バーBにてハイボール一飲。
▼「精神世界、無関心な私たち」高村薫朝日新聞2018年7月10日、こちら

死刑制度の是非はべつにして、かくも重大な反社会的行為が身近で行われていた数年間、日本社会はいったい何をしていたのだろうか。私たちはオウム真理教の何を恐れ、何を断罪したのだろうか。教祖らの死刑執行を受けてあらためてそんな自問に駆られる傍らには、教団の反社会性を看過し続けた私たちの無力と無関心、さらには一方的なカルト宗教批判に終始したことへの自省や後悔が含まれている。また、教祖らの逮捕から二十三年、日本社会がこの稀有な事件を十分に言葉にする努力を放棄したままこの日を迎えたことへの絶望も含まれている。

朝日新聞(人生の贈りもの)志村ふくみ:1「色は植物からの語りかけ」こちら

色を染めるときは、別世界に入って遊んでいるよう。染液につけてくしゃくしゃになった糸を、きれいにほぐすのも大好きで。
色には一つ一つ、原理があります。たとえば桜は、花びらでなく枝や皮から色を染めますが、咲いてしまった後にはあのピンクは出ない。それは咲く前の桜が、そこに色を持っているから。緑色も葉っぱ単体からは出せません。この世に出てしまった色は、もう染められないんです。
色は、植物からの語りかけなんですね。宇宙の言葉、宇宙の表現。それを私たちはいただいて、自然に対してお返しをするわけです。「こんなものができました」と。だから、その発信を受け止める素直な気持ちが大事だと思います。