富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

台北西本願寺

fookpaktsuen2018-07-08

農暦五月廿五日。ホテルの部屋は忠孝路に面してをり道路の反対側に華山市場あり。華山市場といへば、で豆乳が人口に膾炙する阜杭豆漿あり早朝から行列。行列は市場の建物から忠孝路の通りまで伸びて30〜40分待ちはザラ。行列に並んでまで飲食する習慣ないアタシには想像できないが皆さん根気強い。家人は食材買物に。アタシはすることもなく時間潰しに出街して、ふと、さういへば西門の繁華街で西本願寺跡きちんと訪れたこともないと思ひ出し西門へ捷運で二站。台北西本願寺は空襲にも遭はず戦後も残つてゐたが1975年に焼失。今では本殿の石造の遺構残るのみ。日曜で資料館は休館。戦前や戦後の写真から京都ではないが、かなり大きな寺院であつたことがわかる。戦後に中華路に建造された中華商場の建物と比べても雄姿。総督府、新公園抜け善導寺のホテルまで歩く。汗だく。シャワー浴びて旅荷つくり。昼前に退房。荷物をホテルに置いて家人と捷運で再び西門。台北の旅の最後はお決まりで老牌牛肉拉麺大王。いつもなら牛肉麺だが前回、牛肉麺の「肉抜き」で牛肉出汁のきいた汁麺啜る老客をり、それを真似て「牛肉湯麺」。文字からすると牛肉の入つた湯麺で、それなら牛肉麺と変はりないが「牛肉スープのみの麺」が、これ。肉より肉汁がうれしい。書店で、台南のどこだかの食肆で見かけた台湾の立体地図見つけ購ふ。A4判の大きさでもかなり精緻。東部の海岸山脈と、それと中央山脈に挟まれた台東〜花蓮の平地も実に見事。台北車站から捷運でホテルに戻り荷物引き上げ捷運でまた車站に戻り地下街の長い距離を歩き桃園捷運で空港。ラウンヂで啤酒一杯だけ飲んでゲートに行くと香港の中学生の中楽団の一行に親や弟妹ら百人余の団体客あり。それで2日前のネットチェックインでYにまともに席空いてをらず、いつもならCXでYでも前方席のプライオリティシート開放で坐れるとのころYは3−3−3配列のB777-300で最後尾2列だけは2−3−2配列なので2人席ぎりぎり確保。この配列も米国のエアライン等に準じて順次3-4-3の狭い配列に改造中の由。さうなると香港〜台北便など1時間ならまだしも余計にYは今後坐りたくない。香港に戻り旅荷片付け。台南連得堂餅家の味噌煎餅で一服。

▼ 西日本を中心とする豪雨災害が迫った5日夜、自民党の中堅・若手国会議員らが安倍晋三首相を招いて東京都港区の衆院赤坂議員宿舎で開いた懇談会「赤坂自民亭」。世も末といふか、こんな連中に政権委ねてゐる国民がアホである。だが晋三支持率は6P上昇の44%で不支持は5P下がって39%と、また支持が逆転(NHK調査)。支持の理由は他の内閣よりマシが44%だが実際には他に比較対象にする選択肢もなく、消去法的な晋三支持なのが事実。
▼「オウム夢見た虚構の破滅、処刑では消えない今」大澤真幸朝日新聞2018年7月9日、こちら

当時の知的な若者がどうしてこんな虚構=理想に惹きつけられたのか。もともと資本主義に理想を相対化し、色褪せさせる働きが内在しているのだが、ここでは日本社会に絞って問題を指摘しておこう。戦後日本は、普遍的な価値をもつ理想を構築し、我がものとすることに失敗したのだ。敗戦の屈辱と経済成長の実感がある間は、理想が地に足を着けていない状態を意識せずに済んだ。しかしそれらが消えたとき、崇高な理想がどこにもない砂漠のような状況が出現する。これに対する過激な反応がオウムだった。
あれから23年、困難は克服されたのか。そんなことはない。状況はより深刻だ。