富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2018-05-01

農暦三月十六日。労働節だが官邸で残務処理。夏のやうな陽気に誘はれたか官邸敷地内に体長1.6mほどの蛇がお出まし。向かふ先が混凝土の屋上で、このまゝでは干からびてしまひ可愛さうなので箒で誘導して山のほうへと逃がす。久ケ原T君より今日は巳の日で弁天さまの縁日。奇特なる功徳を積んだ、といはれる。早晩から宴会あり。呑むと元気になるアタシもさすがに疲れてゐて呑んでも倦怠感。A大兄が十年以上前にアタシの今の齢のころに「あの当時は本当に仕事どころか遊びも何もする気がない、いつたい何で生きてゐるのかもわからないほど、たゞ疲れてゐるばかりで」と彷彿してゐたこと思ひ出す。「それがな……」と大兄がニヤリとして「そのあとのリバウンド、回春、これが怖いんだよ」と。猛烈な元気と狂つたやうに遊び出しさうな怖い世界が待つてゐる、と。さういうものなのかしら。
朝日新聞解釈改憲の前まで歴史戻せ」片山杜秀慶応義塾大学教授

戦前にも憲法を変えて国体を変革しようとした人たちはいました。革命をめざす左翼はもちろん、右翼でも思想家の北一輝は、著書「日本改造法案大綱」で天皇の力によって憲法を停止させ華族の廃止や私有財産の制限など「国民社会主義」的な国家改造を夢見ました。右翼の北にとっても憲法は邪魔だったのです。
しかし左翼も右翼も正面から憲法を覆そうとした人々は弾圧されました。北は二・二六事件の理論的指導者と目されて死刑になった。一方で多数派である保守主義的な右翼は天皇中心の明治憲法体制を守りぬこうとする点で護憲派でした。戦前の日本で最後に勝利したのは「護憲右翼」です。憲法を一字一句変えず天皇機関説排撃などの解釈改憲で国家の方向を転換させてしまった。
安倍政権による集団的自衛権の行使容認は、それと重なってみえます。改憲しないと無理といわれていたのに閣議決定で解釈をひっくり返し「戦争ができる国」にしてしまった。歴史的に見れば2014年が分水嶺だったことになるかもしれません。
明治憲法の「天皇」と日本国憲法の「平和」。一番重要な言葉なのに解釈の幅が広いところが似ています。軍備を全否定する「絶対平和主義」から安倍首相の唱える「積極的平和主義」まで同じ憲法から導かれています。
戦後の右翼は米国に押しつけられた憲法を一字一句でも変えることが日本の誇りの回復の第一歩と言い続けてきました。民主主義を否定したいという反戦後的な情念や明治憲法こそが理想という復古的美学がそこに絡みます。
安倍政権は彼らの支持をつなぎとめるために9条を始めとする改憲を掲げているのでしょう。でも戦争をしやすくする環境づくりは解釈改憲によってもう済んでいるとも言えます。
いま実際に政策への影響力を持っているのは美学派や情念派ではなく国際政治の現実に即応すると称して日米同盟を強化する方向にしか物事を考えない「リアリスト(現実主義者)」の官僚や学者たちです。彼らは憲法の条文に手を付けるような面倒なことはせず解釈改憲で物事を動かそうとするでしょう。憲法は一字一句変わらないまま国のかたちがどんどん変わっていってしまう。本当の改憲よりも解釈改憲の方が「いつか来た道」なのです。
たとえ今回の9条改憲を阻止しても肝心要は4年前に解釈で変わっている。二・二六事件に国民が驚く前年に、天皇機関説事件はもう済んでいたことが思い出されるべきです。戦前日本がたどった轍を踏まぬためには2014年の解釈改憲の前まで歴史を巻き戻す方策を考えるべきでしょう。