富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

fookpaktsuen2018-04-22

農暦三月初七。薄曇り。昼前にジョギング。1週間ぶり。昨日の按摩の揉み返しで筋肉痛。昼に自宅で焼きそば啜りベルモットをロックで飲み午睡。午後遅く家人と下手したら1年ぶり?で九龍城へ。マフラーの巻き方はフレンチテリー。いつものルートで城南道のタイ食材を流し(極上品なのだらうがマンゴーが3個でHK$100!それが売れてゐるから……)賈炳達道から衙前塱道に入り、いずれも潮州食材扱ふが漬物の葉盛行から魚蛋の唯豐へ、そして街市に入り侯王道に抜け台湾食材から最後は新三陽南貨へ。早めの夕餉は今晩は城南道の泰國路邊街美食といふ食肆に。酒牌なく「どうぞお持ち込みで」なのでコンビニでビール買ひ求め勝手呑み。九龍城への行き帰りバスの中で高橋悠治『コレクション1970年代』(平凡社)読み始める。高橋悠治なる、当時はコンピューター音楽などの新鋭の作曲家がまだ30代で当時の『音楽芸術』や『ユリイカ』等に書いた音楽論なのだが近代のヨーロッパでの音楽の「完成」からメディアによる音楽の大衆化、近代音楽の脱構築の限界まで、とにかく下手な思想家顔負けの見事な現代文明論で、これはきちんと腰を据ゑて読まねばならぬ。九龍城のバス停の看板に「病」なのだらうか一文字の落書きあり。見事な書きぶり。

⇧主人公・清太と妹の節子は、父親の出征中に空襲に遭い母親を亡くす。親戚のおばさん宅に身を寄せるが食事の内容に差をつけられたり「疫病神」と嫌みを言われたりすることに耐えられず横穴で2人きりの生活を始める。しかし節子は栄養状態が悪化し痩せ衰えて死ぬ。
「我慢しろ、現実を見ろ、と冷淡な意見が多くて驚いた」と映画ライターの佐野亨さん。戦争で理不尽な状況に追い込まれた、弱者であるはずの清太の問題点を強調する風潮が気になった。自己責任の賛否を巡るネット上の応酬の中で脚光を浴びたのが公開当時に「アニメージュ」誌(徳間書店)に掲載された高畑監督のインタビュー記事(88年5月号)だ。監督は「心情的に清太をわかりやすいのは時代の方が逆転したせい」と語る。清太の行動は現代的で、戦争時の抑圧的な集団主義の社会から「反時代的な行為」で自らを解き放とうとしたと観客が共感できると考えていたとうかがえる。一方でこう続ける。

もし再び時代が逆転したとしたら、果して私たちは、いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。清太になるどころか未亡人(親戚のおばさん)以上に清太を指弾することにはならないでしょうか、ぼくはおそろしい気がします。