富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Le Père Noël supplicié

fookpaktsuen2018-01-01

農暦十一月十五日。陽暦元旦。お節料理少しと雑煮。久しぶりにジョギングでハーバー沿ひ走りジムに寄り帰宅。実家の母に新年の挨拶を電話で。午後は昼寝でもするつもりが家人がiPhoneで連絡先のファイルを消してしまつたやうで連絡先はiCloudにバックアップしてあるからiPhoneごとリセットしてみるが直前にバックアップが働き連絡先アプリは出て来ずApp Storeから下戴したら起動した瞬間にiCloudから連絡先データ読み込まれる。つまり最初から連作先アプリを下戴すれば済んだといふことか。掃除機がかなり使ひ勝手悪くなり元旦早々、東芝のハンディな掃除機探して北角と銅羅湾に出たが人混みに疲れるばかりで徒労に終はり帰宅。昨晩の大晦日N響の第九なら元旦はNeujahrskonzert der Wiener Philharmonikerで生中継をテレビで見るのも何十年ぶりかしら。今年はムーティ指揮。縁起物でいゝだの悪いだのあれこれ言ふまい。生中継の始まる前の紹介番組で維納フィルのアーカイブだかの担当者がナチス時代のウィーンフィルユダヤ人団員排除といつた負の歴史について「我々がその当時の判断の是非を問ふことは難しいが(たゞ否定するだけなら易しいといふことの反語か)今の我々は歴史を学び、そこから何かを得ることが可能です」といふのは格言。その番組のあと本当は聖誕祭の晩にでも読めれば良かつたのだがクロード=レヴィストロース『火あぶりにされたサンタクロース』(中沢新一訳・長い解説)読む。原題は"Le Père Noël supplicié"で「刑に処されたサンタクロース」で随分とセンセーショナルな邦題だが実際に1951年にフランスのディジョンでサンタクロースがキリスト教の聖職者によつてサンタクロースはキリスト教の聖誕祭を異教化したといふ罪で火刑に処された事実。聖誕祭は夏に生まれたといふ説もあるキリストの降臨を当時の後の冬に置き(ローマ暦などで見てもけして「年末」ではない)イエスキリストの生誕を祝ふ祝祭はおごそかに教会等で生誕の場面を模型化したcrècheが視覚化されてゐたのだがクリスマスツリーがどうして普及したのかは理論的に説明できるものゝの近代になつてからのサンタクロースなる老人の登場をレヴィ=ストロースは見事に分析してみせる。クリスマス祭は古代ローマケルトの異教の祭がベースにあり昼が短く夜に支配される冬至の頃の季節は死者たちが生者の世界に侵入してくるのはケルト族の物語でもハロウィンでもナマハゲ伝説でも一緒。そこで「人々はこの死者の霊をあらわした異形の存在たちにさまざまな贈り物(供物)をあたえてご機嫌を取りお引き取りいただくことによって再び世界のバランスを回復しようとする祭を行った」のだが、さうした異教の行事をキリスト教会は上手に「キリスト生誕祭」であるクリスマスに組み込み、さうした暗黒の冬に「イエスが誕生することによって、この世界には光がもたらされる」としたといふ。さらに異教の祭りで重要な役割を演じた少年や若者たちの振る舞ひはヴィクトリア朝以降のブルジョア的近代では「良俗に反する」「危険」とされ「祭の主役だった子供が家の中に籠って「いい子」であるようにしていると家の外の闇の中から「鞭打ちじいさん」がやってきて子供を脅しながら贈り物を届けてくれる」といふ展開となり、その「鞭打ちじいさん」も古拙だとされキリスト教の伝統の中で「子供たちの守護聖人」と考へられてきた聖ニコラウス(サンタクロース)が登場したといふ。
▼新聞の元旦朝刊くらゐ何か大スクープでも載せて話題になつてもらひたいところ。毎日が2016年に韓国に亡命した北朝鮮の在英公使へのインタビューで北朝鮮拉致問題の解決条件として金正恩が日本から巨額の資金援助を望んでいるといふセンセーショナルとまではいへない一面トップくらゐ。それに比べ朝日は「幸福とは何かで2面以降の特集も「挑戦」だとか社会面では大手企業を退職しての「おっさんレンタル」で生きがひ見つけたおじさんの話とか何だか大丈夫か。そんなこと語つてゐる場合ではないと思ふのだが。