富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

台北マラソン(ハーフ)

fookpaktsuen2017-12-17

農暦十月晦日。朝五時過ぎに起きる。気温は摂氏11度で天気予報は日の出後も寒波の影響で気温上がらずといふ。体感気温は摂氏9度だとか。六時にホテル出ると小雨。市街を北北東に進路をとり台北市政府前の公園目指す。マラソンでもLGBTでも反政府、反原発でも集合は此処。先月の紐育ではシャトルバスの混雑が読めず出発地点着いてから手間取り荷物預けられず失態演じたが今日は六時半のフルのスタートの歓声聞きながら余裕あり。七時にハーフ定刻でスタート。市政府のまわり四分の三周して仁愛路を西へ、西へ。民国の三民主義色濃厚な街路の名前のうち中山路は別格として、この東西の仁愛路と南北は敦化路が車線も8車線で広く街路樹も繁りこれが巨大な仁愛敦路のロータリーで交わり見事に十字架のやうで仁愛路は東端が市政府で対峙する西端は総統府(旧台湾総督府)と実に地政学的に面白いもの。東から幸福、安和、敦化、捷運茶色線の高架が復興、南北の首都高の高架が建国、新生で中山南路に至る。マラソンのコースは臺平賓館(政府迎賓館)前のこゝで北に曲がり右に台湾大学医学部病院、教育院、立法院と眺め忠孝路を過ぎて昔はこゝから陸橋があつて鉄道を越へて、そこが今では台鉄の地下化で線路が市民大道となり……等と考えことばかりしてゐるのだから走りに身が入るはずもない。東西の道が三民主義なら南北は大陸の都市名が並び長安、南京、長春で民生路までが市の中心部。銀座から日本橋を走るやうな目抜き通りだが八車線の車道のうち中央四車線がランニングで左右其々二車線は日曜朝とはいへかなりの殊にバイクの交通量で排気ガスがたまつたものぢゃない。圓山公園の傍を抜け高速道路に入る高架に上がり基隆河を渡り圓山大酒店を見上げながら東へと北安路に入ると巨大な敷地のアメリカンクラブ、忠烈祠、国防相海軍総部など軍事施設並び基隆河が南に曲がる所でハーフのもはや15kmでお気楽。それにしても気の毒はフルマラソンでスタートは一緒だが仁愛路の先で総督府のあたりをぐるりと一周してハーフと合流して中山北路を走つた後、この基隆河の河川敷(美堤河濱公園)を二往復半ほどして20km近い距離を稼ぎ基隆河を亦た市街に入つたところで合流となる。今回のマラソンに台湾の外から51カ国の3,200人が参加で国際的認知度からいつても国際組織が国際イベントして認知すべきと柯文哲・台北市長(写真w)が指摘してゐるが、それには何よりコースでの自動車バイク制限と、近所のジョギングじゃないんだから単調な河川敷コースは見直しすべき。コースの最後は基隆路の地下道を近未来的といふか何だか末期的だが、それを抜けて市政府前でゴール。昔は二時間でハーフ走つてゐたものだが三時間もかかつてしまふ。それでも楽しく物見遊山で完走できるから我ながら大したもの。家人の出迎へ受ける。気温は上がらずレース中もずつと簡易ビーニルヤッケ被つたまゝだつたがレース終はると寒さが身体に染み入る。台北101の捷運站から1つ西の安和信義へ。下町の通安街の食堂で面を啜り青菜湯を飲む。身体も少し温まりホテルまで歩いて帰る。シャワー浴びると温水がこんなにありがたいとは。日本で今日開催の防府ラソンだつたか気温は摂氏5度だといふが南国の体感気温は皮膚感覚で10度差あるので台北の摂氏11度は0度近いのだ。午後。路線バスで敦化忠孝まで出て捷運青線で台北車站。地下道で「台北鳥人間」に再会。バスターミナル。渓礁行きのバスは去年春の時よりアップグレードで1-2列の高級バスで快適。13:57発だつたかを10分前のウェイティングで台北市内を走るうちに睡魔に襲はれ気がつくと国道5号線の長いトンネル(13kmで台湾一長い隧道なのださう)を抜け東海岸台北から50分ほどで礁渓。礁渓のバスターミナルから歩いてすぐの森林風呂へ。寒空に小雨で露天風呂ほど心地よいものはない。礁渓で温泉宿並ぶ繁華街は日曜早晩で遊客多し。そこを抜けて火車站から南に延びる中山路へ。このあたりは観光ヅレしてをらず、地元民も多くのんびり。飲食店も廉価。礁渓といへば鴨料理といふわけで昨春に食した「鴨不倒」は閉まつてゐて近くの「陳記當歸鴨」へ。鴨尽くし。レースの後の蛋白質摂取といふことで中山路で更に一軒、かなり賑はひの三妹爌肉飯。爌肉だけでも十分なのに魯肉飯の上にこれだ。かなり満足。町外れのバスターミナルまで歩く途中で無料の足浴に浸かる。台北行きのバスは往路では気づかなかつたが台北車站と直通の他に捷運文湖線(茶色)の科技大厦站経由もありホテルから至近距離。こゝで下車。温泉のあと客室のシャワー浴びるはずもなく早寝。
▼昨日ホテルのジムでトレッドミルでてれてれ走りながら見てゐたNHK歴史秘話ヒストリア(11月24日だかの再放送)「日本人と山 私たちは、なぜ登るのか」(こちら)について。未踏峰だといふ槍ヶ岳に佛を見た修行僧の播隆の話に始まり加賀藩の信州との国境にある黒部の山岳の警備の話など日本人は古来から山に畏敬の念を抱き山を愛おしみ日本独特の山に対する思ひ入れと食傷気味に思へるほど「日本人にとつての山々」とくどいナレーションが続き(といふか「くどいナレーション」こそ、このヒストリアらしさなのだらうが)チベットだつてアンデスだつてアフリカでも世界どこでも聳え立つ山に神々が宿り畏敬の念などもつてゐるのになぜに「日本では」とするのか、晋三に叱られなくてもNHKもじゅうぶんに日本の滑稽な民族意識高揚に努めてゐるよな、とぶつぶつ思ひながらトレッドミルで走つてゐたら槍の播隆、加賀藩の話に続いて日本にとつて近代の登山を生んだのが、とこゝで登場がアーネスト=サトウでサトウなくしては日本の登山に「純粋に山を愉しむこと」はなかつた、と。おいおい。日本にしかない山への愛着はどこにいつたんだよ。