富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

仙台市長選挙で自民敗北

fookpaktsuen2017-07-23

農暦閏六月初一。トロピカルストームがあれよ、あれよといふ間に香港直撃で昨日は1だつた警報が3に、そして午前中のうちに8となる。風雨強からず……そりゃさうである、台風ではない、天文台が熱帯性低気圧だから強弱に関係なく距離で警報出したのだから。日曜の工作。財布に入れてゐる鍵が3つで嵩ばる。キーホルダーなるものは嫌ひ。財布の隙間に鍵を入れてみると不安定で出しづらい。そこでマジックテープ活用で財布の隙間に鍵を据ゑる。マジックテープは接着剤つきで布地の場合、アイロン当てゝ布につけるタイプのマジックテープだが鍵は熱伝統がいゝから鍵にマジックテープが付いた。雨のなかマンションの軒を伝つてジムのある消費場所まで小走りでゆくとジム以外は平常通り。そんなもの。昼は自宅で揖保乃糸。午後読書。シグナルは3に。夕方、家人と近所に買ひ物。20年使つた小型の電気湯沸かし器が未だ使へるがプラスチックの劣化が著しく熱湯入つてゐる時に割れたりしたら大変なので買ひ替へ。晩に明太子のパスタ。仙台市長選挙開票。仙台市長選挙といふと1984年だつたかの島野武市長逝去での石井vs勅使河原の選挙戦を今でも思ひ出す。勅使河原先生に当時ではなかなか難しかつた社共共闘。錦町公園に当時あつた仙台レジャーセンターでの総決起集会には社会党から田辺誠、共産党から上田耕一郎が壇上に並び二人とも弁舌お見事。選挙では勅使河原さんは負けたが石井亨は収賄で逮捕され有罪。今晩はラジコで東北放送ラジオ聞いたら選挙速報には早く、安部光俊さんの懐かしい声が音楽番組から流れる。選挙は共産党自由党も推した民主党の郡さん当選。村井県知事のお友だちで現知事も推す自公支援の葬儀会社社長は敗北。数ヶ月前なら自公に地元財界の支援があれば誰でも勝てる選挙だつたのに思はぬ逆風。だが国政の影響なし、とするなら公明党の支援が弱かつたとでも愚痴るところか。この自公候補の経営する葬儀社が創価学会フレンドリーなのかどうか、はアタシの知るところではない。島野市政から市政を革新……もうさうは言はないね、少なくとも非自民勢力が奪回は33年ぶり。島野さんから見て仙台の戦後のよきリベラルの伝統の保守の勝利か。朝日新聞で閣僚経験者のコメントとして「都議選と同じで安倍内閣、安倍さん個人の評価だ」、ある党幹部は「トップを代えなくちゃ、次の衆院選は戦えない」と述べたとあるが、実はこれは「閣僚経験のある或る党幹部」の発言だったりして石破君の一人コメントだとしたら可笑しい。すわ明日から晋三はまた大変だ。今日の日曜は富ヶ谷の自宅でしつかり休養したいところだらうが渾身の力を振り絞つて昼前に横浜まで出かけ日本青年会議所主催のコンファレンスに出て憲法改正について「今夏に改憲案絞る、秋に国会提出」と意欲的にスピーチ。足元に火がつき、それどころではないと思ふが。「意味不明な憲法改正を叫ぶから支持率が下がっていることを理解せよ、自分の存在が有意義な憲法議論にとっての最大の障害であることも理解すべき」と山口二郎先生。御意。スガ内閣官房長官もも明朝の記者会見のことを思ふと夢に東京新聞モチヅキ現れ悪夢だらう。
▼香港の「新界の首領」劉皇發氏(發叔)逝去。享年八十。新界の一農民の子として生まれ若いときに村の寄り合ひに近い郷疑会の議員となりめきめきと才覚表し新界をまとめる存在となり土地を買ひ占め政財的に首領の座を獲得。当時の香港政庁も中国から租借の新界の地をまとめる劉皇發は無視できず要職につけた。この方は話題事欠かず。沙田車公廟への元朝参りに發叔が引く御神籤は新界の一年を占ふとされ注目集まるが、数年前に大凶引き本人も周囲も真っ青。車公廟の籤が「やらせ」ではない証明にもなつたが。そして本人にとつて最大の痛恨は2015年夏の政府側提出の政改法案の否決。CY梁が準備万端で臨んだが与野党の賛否緊迫。与党議員全員出席必須のところ發叔が(あとで体調不良と弁明したが)議会入場遅れ与党側議員が採決遅らせやうと画策、それが議長に否定され、採決直前で与党議員が採決必要定数満たぬやうにと退席し始めたが状況がつかめぬ与党議員の一部が議場に残り3分の2だかの定数満たし採決。そこで反対多数で否決。思はぬ結果に野党議員も驚く珍事もが懐かしい。