富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

「正しく怖がること」

農暦五月二十日。雨模様。風依然強し。昼前に天候は少し快方に向かふ。客人と昼前に私も久々の飲茶@沙田明星海鮮舫。午後から晩まで恐ろしく忙殺され腰痛も易々とは癒えず。
酒井啓子先生の個人で「正しく怖がる」こと。朝日新聞こちら)。30年前イラン=イラク戦争のときにイラク駐在してゐた酒井先生、隣国イランから時々ミサイルが飛んできたといふ。たいてい夜中で「ドン」という音と、近い時には爆風が家のなかを吹き抜けたが翌日、被災場所の近くに行くと近所の住民が粉々になったドアや窓ガラスの破片を箒で掃いてゐたといふ。「野分のまたの日」といふのは不謹慎かもしれないが「台風や地震など天災に見舞われたような淡々とした諦め」。ただ運命とみなし日常を続けること。それを戦争といふ政府の失策に抗議も反発もしない「戦争に慣れすぎた社会」は「ただ受動的に受け止める主体性のない社会」に映るかもしれない。だが実際には「人々は戦下でもっと主体的」で自国政府の大本営発表を聞きながら敵国や欧米のラジオを聞いて正しい戦況分析に努め、毎日何事もないやうに生活してゐる人々が気がついたらある日、近所全員が疎開してゐたといふ。

危険を自ら察知する能力を持つ。言い換えれば、「正しく怖がること」を知っていた。
「正しく怖がる」ことができるのは、危機をもたらす構造、紛争のゲームルールを知っているからである。紛争の何が引き金になるか、いつヒートアップするか、社会が認識を共有していれば、自分で自分を守ることができる。
だが、これまでよく知ったゲームルールの当てはまらない事件が起きると、人は「正しく怖がる」ことができなくなる。怖くないことを怖がり、本当に怖いことが見えなくなる。あるいは、「正しく怖がる」ための情報収集の努力が、面倒臭くなる。
力で強引に世界を変えたい人たちがしばしば「テロリスト」と呼ばれるのは、彼らが人々に「正しく怖がる」ことを止めさせ、恐怖心を煽(あお)るからだ。「宗教とテロは無関係」「異なる宗教は共存可能」という、自由主義世界のゲームルールが機能しないことを示すため、テロリストは襲撃を繰り返す。(略)
なぜ突然味方が敵になり、隣国や大国から「敵」レッテルを貼られるのか。これまでの友敵関係を支えてきたゲームルールの通じなさに、人々は「正しく怖がる」ことができなくなる。
しかし、イラク戦争後に設定された友敵関係の枠組みが、すぐ使えなくなったのも当然である。そこで使われた「宗派対立」とか、「対テロ戦争」とか、「民主政対独裁」が、戦争を遂行する上でわかりやすく設定されただけだったからで、対立の実態はもっと複雑だったからだ。サウディとカタールの対立は宗派対立ではないし、ロンドンのテロは、移民対白人社会ではない。
わかりやすいゲームルールの「化けの皮」がはがれたのに、権力者が「敵はあいつだ」と繰り返すしかないのならば、「正しく怖がる」意識を育むどころか、不要な恐怖心、警戒心の増大を招く。だとすれば、国民一人一人が「正しく怖がる」ための情報を集め、分析し、理解するしかない。