富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

天安門前広場

fookpaktsuen2017-06-04

農暦五月初十。日曜。朝、驟雨。気分転換に中環のジムまで遠征。日曜午前の中環は人も少なく快適。IFCのLane Crowford呉服店通り抜けると”Hainan”と背中に大書きされたビニール製のレインコートあり。「海南」で然もデザインもダサい。Lane Crowfordで扱ふブランド物らしくWan Hungといふ倫敦ベースの気鋭の若手デザイナーのものださうでお値段はHKD5,160とは。まさに狂気の沙汰。昼過ぎ帰宅して揖保乃糸。午後読書しながら競馬。安田記念。香港から昨年末の香港マイル優勝のビューティーオンリー(Tony Cruz厩舎、Z Purton騎手)と先月のチャンピョンマイル優勝のコンテントメント(Size厩舎、Moreira騎手)の2頭が出征。コンテントメントは昨年の安田記念は最下位。日本では2番人気のエアスピーゲル(武豊騎手)の倍率が香港のサイマルキャストは14倍で神様、武様、モレイラ様でエアスピーゲルの単勝と、これを軸にコンテントメントとイスラボニータ(ルミエール騎手)狙ふ。昨年末の香港マイル5着のロゴタイプがレース引っ張りサトノアラジン優勝でロゴタイプ2着。ビューティーオンリー6着でコンテントメントは10着。今日の競馬は久々に大負け。岩波『世界』6月号読む。先月号から市川紘二「中国新建築文化論」といふ連載始まり初回は中国の奇妙現代建築と習近平のそれの引き締め。今回(第2回)は北京天安門広場の人民英雄記念碑=ナショナリズムの象徴装置について。市川先生曰く昨年末に書き終へた博士論文も「天安門広場」がテーマで1949年以前、民国時代について天安門広場は「ほぼ研究がおこわなわれてきていない」「先行研究が見当たらない」といふ。確かに数は少ないが、読んでゐる途中だが巫鴻(シカゴ大学)の大著『北京をつくりなおす-政治空間としての天安門広場』(国書刊行会)等もあり何より天安門は民国末期に長安街が作られるまでは庶民にとつて前門から覗きみるほど遠い場所で民国末期に紫禁城の北半分を皇帝らの居住区として確保した以外は紫禁城故宮博物館となり天安門の北側にも中央公園などが造営され解放されたが天安門の前の空間じたい五四運動などデモや集会が開かれる空間とはなつたものの現在のランドサットからも確認できるほどの広大な敷地になつたのは1949年以降中共の政策によつてで戦前の天安門前は広場といふには狭い空間で(迂生所有の地図参照)歴史もわずか数十年のことなので研究が少ないのは当然かもしれない。なにせ「天安門(前)広場」といふ名称すらなかつたのだから。そして本日は陽暦六月四日。天安門事件から28年。香港での反思六四活動で大学の学生会は一翼担つてきたが中文大学の学生会会長は天安門事件を歴史的過去として総括を提言し反思活動から距離を置く構へ見せたかと思へばバプティスト大学の学生会は天安門事件を「隣国のこと」と突き放し本土派の主張見せる。

Nobody wants Fukushima mentioned in the same breath as Chernobyl. Almost three decades after the world’s worst nuclear accident, life there is still frozen in time, a snapshot of the mid-1980s Soviet Union, complete with posters of Lenin on school walls. By contrast, about \200m ($1.8m) per household has been spent decontaminating Iitate, helping to reduce radiation in many areas to well under 20 millisievert per year (the typical limit for nuclear-industry workers). But the clean-up extends to only 20 metres around each house, and most of the village is forested mountains. In windy weather, radioactive caesium is blown back onto the fields and homes.
Nevertheless, Mr Kanno says it is time to cut monthly compensation payments which, in his view, encourage dependence. In 2012 Iitate’s became the first local authority in Fukushima prefecture to set a date for ending evacuation. The mayor pledged that year to revive the village in five years, a promise he has kept. A new sports ground, convenience store and noodle restaurant have opened. A clinic operates twice a week.
All that is missing is people. Less than 30% of Iitate’s former residents want to return. (In Nagadoro, over half said they would never go back.) Many have used earlier lump-sum payments to build lives elsewhere.前川氏は「安倍1強」の政治状況を「首相秘書官や首相補佐官が各省の大臣より偉くなった」と表現。「柳沢吉保みたいな人が各大名よりも偉いような状況にある」。文科省は「確認できない」として「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」などと記された文書の存在をいまだに認めていない。一方で加計学園を巡って省内で共有されたとみられる文書などが野党などに次々と提供されている。前川氏は「文科省が文書があったことをなかったことにしろと強いられ締め付けに耐えられなくなった職員が流したのでは。そうした職員が複数いるように見えるが、今後も増えるかもしれない」と見る。
世界 2017年 06 月号 [雑誌]

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