農暦十二月廿二日。毎年初夏に早摘みの龍井茶を求めるが、それなりに高価で「勿体ない」と少しずつ飲んでゐると結局余つてしまつて年を越してしまひ香りも抜け変色した茶葉を無駄に多く淹れて飲むことになる。今年はぜひ初夏に美味しくたくさん飲むことにしようと思ふ。
▼朝日新聞で高橋源一郎氏の天皇についての文章を読む(こちら)。
憲法は天皇を、日本国と日本国民の統合の象徴としている。
では、「象徴」とは何だろうか。国旗や国歌がその国の象徴とされることは多い。だが、わたしたちの国のような形で生身の人間をその国の象徴と規定する例を、わたしは、ほかに知らない。そんな、個人が象徴の役割を務める、きわめて特異な制度の下にあって、その意味を、誰よりも真剣に、孤独に考えつづけてきたのが、当事者である明仁天皇本人だった。「個人」として、「象徴」の意味を考えつづけた明仁天皇がたどり着いた結論は、彼がしてきた行いと「おことば」の中に、はっきりした形で存在している。
「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」
「その人」が訪れるのは、たとえば被災地だ。そこを訪れ、被災者と同じ「目線」でしゃべることができるように、「その人」は跪くのである。「その人」は、弱い立場の人たちのところに行って励まし、声をかける。それから、もっと大切にしている仕事がある。それは「慰霊」の旅だ。「その人」は、繰り返し、前の戦争で亡くなった人たちの「いる」場所に赴き、深い哀悼の意を示す。
弱者と死者への祈り。それこそが「象徴」の務めである、と「その人」は考えたのだ。
戦後71年。この国の人々は、過去を忘れようと、あるいは、都合のいいように記憶を改竄しようとしている。だが、健全な社会とは、過去を忘れず、弱者や死者の息吹を感じながら、慎ましく、未来へ進んでゆくものではないのか。個人として振る舞うことを禁じられながら、それでも、「その人」は、ただひとりしか存在しない、この国の「象徴」の義務として、そのことを告げつづけている。
聖上も間違ひなく、この記事を読まれてゐるわけで、かうした言説に接すると自分が戦後日本で育ち平成といふ時代に象徴天皇としての行ひがきちんと国民に理解されたことに本当に嬉しく思はれるのだらう。聖上が被災地見舞ひ避難先で跪く姿を真似して呆れて見せた輩も、どこかの官邸にはゐるらしいが国民の多くは聖上の行ひを間違ひなく尊敬してゐるのだから。
▼江西省撫州で60年ぶりに明初の仏像がダム湖から出現とは。1950年代の自力更生期で仏像が水没しても、のダム建設だつたのか。革命思想に萌えた当時ならあり得た話か。水面から現れた尊顔は俯きかげんもいかにも「いやー、いゝ湯だ」といふ表情が何とも。
@fookpaktsuen: The first direct train service from China to the UK has arrived in London URL
@fookpaktsuen: 集団的自衛権審議の想定問答、内閣法制局が一転開示:朝日新聞 URL 朝日は「法の解釈を誤った法の番人」と言ってみせるが、おバカな首相が介入したら所詮「内閣」法制局。フランス国務院等とは性質が違いすぎる。
@fookpaktsuen: グローバル化とは「世界が一つになる」という考え方だが、それはここの人間、企業、国や地域のアイデンティティを否定するということでは決してない。(カルロス=ゴードン)