富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2017-01-19

農暦十二月廿二日。毎年初夏に早摘みの龍井茶を求めるが、それなりに高価で「勿体ない」と少しずつ飲んでゐると結局余つてしまつて年を越してしまひ香りも抜け変色した茶葉を無駄に多く淹れて飲むことになる。今年はぜひ初夏に美味しくたくさん飲むことにしようと思ふ。
朝日新聞高橋源一郎氏の天皇についての文章を読む(こちら)。

 憲法天皇を、日本国と日本国民の統合の象徴としている。
 では、「象徴」とは何だろうか。国旗や国歌がその国の象徴とされることは多い。だが、わたしたちの国のような形で生身の人間をその国の象徴と規定する例を、わたしは、ほかに知らない。そんな、個人が象徴の役割を務める、きわめて特異な制度の下にあって、その意味を、誰よりも真剣に、孤独に考えつづけてきたのが、当事者である明仁天皇本人だった。「個人」として、「象徴」の意味を考えつづけた明仁天皇がたどり着いた結論は、彼がしてきた行いと「おことば」の中に、はっきりした形で存在している。
 「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」
 「その人」が訪れるのは、たとえば被災地だ。そこを訪れ、被災者と同じ「目線」でしゃべることができるように、「その人」は跪くのである。「その人」は、弱い立場の人たちのところに行って励まし、声をかける。それから、もっと大切にしている仕事がある。それは「慰霊」の旅だ。「その人」は、繰り返し、前の戦争で亡くなった人たちの「いる」場所に赴き、深い哀悼の意を示す。
 弱者と死者への祈り。それこそが「象徴」の務めである、と「その人」は考えたのだ。
 戦後71年。この国の人々は、過去を忘れようと、あるいは、都合のいいように記憶を改竄しようとしている。だが、健全な社会とは、過去を忘れず、弱者や死者の息吹を感じながら、慎ましく、未来へ進んでゆくものではないのか。個人として振る舞うことを禁じられながら、それでも、「その人」は、ただひとりしか存在しない、この国の「象徴」の義務として、そのことを告げつづけている。

聖上も間違ひなく、この記事を読まれてゐるわけで、かうした言説に接すると自分が戦後日本で育ち平成といふ時代に象徴天皇としての行ひがきちんと国民に理解されたことに本当に嬉しく思はれるのだらう。聖上が被災地見舞ひ避難先で跪く姿を真似して呆れて見せた輩も、どこかの官邸にはゐるらしいが国民の多くは聖上の行ひを間違ひなく尊敬してゐるのだから。
江西省撫州で60年ぶりに明初の仏像がダム湖から出現とは。1950年代の自力更生期で仏像が水没しても、のダム建設だつたのか。革命思想に萌えた当時ならあり得た話か。水面から現れた尊顔は俯きかげんもいかにも「いやー、いゝ湯だ」といふ表情が何とも。

⇧ At the opening event of this freight train in China, a nature conservation activist from London told that cargo transportation by train is friendly to the earth with one twentieth carbon dioxide emissions of air cargo. I believe she came to China by Siberian Railway or voyage in sea, not by air flight.内閣法制局はあくまで内閣にあつて(政権与党が)提出する法律や内閣の方針が合法的なものか、どう合法的にするか、を考える部署。かつて自民党が長期政権でも党内で派閥政治でタカ派ハト派でバランスがとれていたり、55年体制自民党社会党で国政のバランスがとれていたのと同様、内閣法制局も各省からの官僚の寄せ集めでも優秀さで以つて本来約束された実態以上に「法の番人」と呼ばれるほどの機能を有し政権もまたそれを尊重してきたもの。それが政権を握る領袖が一旦おバカになると脆くも崩れ去るのは内閣法制局に限らず党内の自浄作用や野党の不甲斐なさなど全て一緒なのかもしれない。グローバリズムには個人的に懐疑的だが、これほどの人にかう言はれると、ただ反対するのも甘い気がしてしまふ。日経の「わたしの半生」より。