富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-11-30

農暦十一月初二。快晴。夜、返家。今日の朝刊に競馬欄あり今晩は跑馬地の競馬かとテレビをつけ第1レースから競馬始める。ハッピーヴァレイらしいクラス5の冴へない馬のレースだがハンディキャップで20戦未勝なんて馬が7歳馬で初勝利なんてあるから面白い。おでんと日本酒でほろ酔ひ気分で途中、買つた馬が寝てしまつた間に1着だつたりで第8レースまで単勝複勝でやるが結果的に3レース単勝、2レースも複勝で取りなかなかの成績。
▼韓国の朴槿恵大統領について。大統領として瑕疵があるにせよ、どこか同情するところもあり(だからといつて免罪にはならぬが)。たゞそれをどう表現すればいゝのか言葉が見当たらずにゐたが伊藤亜人先生が言ひ当てゝゐる(朝日新聞、こちら)。

朴大統領は、なぜ、チェ被告のとりこになってしまったのでしょうか。私は韓国社会で女性が置かれる精神的な側面が大きいと思います。かつて儒教社会にみられた、公的な世界での男性優位の伝統は今も根強いようです。男性の意識は特にそうです。初の女性大統領は、ストレスを抱えていたのでしょう。そのうえ両親を不幸な形で亡くし、政治家に対する不信感が強く、弟妹との関係も疎遠です。
親しい相談相手が、霊的な力を持つとも伝えられるチェ被告で、大統領のことをオンニ(お姉さん)と呼び、実の姉妹のような関係だったようです。男性優位社会のストレスと孤独を癒やしていたのではないでしょうか。

かなり婉曲な表現だが伊藤先生の更に言はむとするところは明らか。
▼早いもので歳末、で正月。正月といへば初詣だが「古来の習慣」「伝統行事」か、といふとさもあらず。朝日新聞の興味深い記事(樋口大二記者、こちら)。歳時記を見ても江戸時代に「初詣」を詠んだ句は載つてをらず歌舞伎の外題でも「初詣」が使はれるのは明治三十年初演の「初詣寿曽我」が最初。江戸時代の人々は「初詣」をしてゐない。1872年に品川〜横浜の鉄道が開通し川崎驛が出来、川崎といへば川崎大師だが1981年元旦の新聞記事(朝日)に「又東京全市よりの方角にハ川崎大師がちよツと汽車にも乗れぶらぶら歩きも出来のん気にして至極妙なりと参詣に出向きたるも多く…」あり、この頃には初詣が定着してゐたといふ。

初詣はまず、鉄道の発展とともに郊外への散策を兼ねたレジャーとして普及した。都心で例外になったのは1920年に創建された明治神宮だ。気軽な娯楽を求めた庶民のニーズに加え、ナショナリズムの高揚とも結びついた初詣は「単なる娯楽ではない正しさ」をも獲得し更に広く深く普及した。

伝統的に見える場所で行われるだけで伝統的と思へてしまふ、伝統といふものが意外とインスタントに定着すること。記事は「初詣は明治以降に「創られた伝統」ではあるが、すでに百年以上の歴史がある。現代人にとっては、もう十分に「伝統行事」であるのかもしれない」と結ぶが百年程度のことを伝統としてしまふと本質が見えなくなるのが怖い。英国の歴史家Eric Hobsbawmらの指摘と初めて知つたが「創られた伝統」とは「長く受け継がれてきたと考えられてきた伝統の多くが実際には近代に「国民文化」を創出するために発明されたもの」で、さらに民俗学的には「素朴に見えるものは古くから連綿と続いてきたという錯覚をもたらす」もので日本では明治に始まつたものが大正、昭和には伝統として定着が多い。それにしてもキーワードは「鉄道」で原武史ワールド。庶民にとつての旅行なるものが倫敦からブライトンへの鉄道の開通で日帰りから始まりトーマス=クックの旅行業もそれは有名な話で鉄道が敷設されることで近代がいかに体系づけられたか。天皇行幸も船の時代もあつたが民草が天皇の乗つた列車を正確な時刻で拝見することで視覚的に天皇制なるものが下々に浸透したのだから。