富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦十月廿四日。昨日朝からの小雨は降り止まず夜中に目覚めると本降り。毎日、三時間も眠れぬやうでは困つたもの。仕事の合間に太古城の養和診療所に寄ると医者は睡眠導入剤飲んでも4時間でぴたりと目覚めては休養にもならぬからと抗鬱系の弱い精神安定剤の服用勧められる。晩に服薬すると半時間ほどで何とも心地よき懈さで寝入る。
大澤真幸先生が日本史上での革命家は?とすれば後醍醐帝や信長は一見革命実現のやうだが志半ばで倒れ秀吉は家康は朝廷といふ権威に依存で寧ろ反革命的、とすると朝廷と対峙し朝廷の力を奪ひ新しい体制を作つたといふ点で革命家に合致するのは鎌倉の三代執権北条泰時とする論証発表(朝日)。成る程。後鳥羽上皇と対立し京に攻め入り後鳥羽ら三上皇流罪にした上で仲恭天皇廃す荒業。日本史上初の体系的な固有法としての御成敗式目制定し天皇の裁可経ずに一方的に公布施行。実はこの泰時といふ見方のオリジナルや山本七平ださう。大澤先生はその着目に加へ次のやうにいふ。既存権力や秩序を壊す革命が私利私欲でないこと示すためには大義必要。それが西欧なら唯一神、中国では天。日本にそれは天皇しかなく天皇を倒せば革命に大義なく民衆の支持得られぬから天皇流罪等に罰して自ら新しい法による体制を構しても天皇制は廃せず維持といふ「天皇制の否定的な活用」により革命実現といふ。これが現在の象徴天皇制に繋がる天皇機関説的な見方といふわけだが果たしてさうかしら。少なくても鎌倉時代の当時に「天皇倒すことで民衆の支持を得られぬ」なんて発想が権力者にあつたか。天皇を倒すべきかどうか、は考へても少なくとも「民衆の支持」なんてものはどうでもいゝはずだし、それより当時の民草のどれだけが朝廷なんて認識してゐたか。