富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三笠宮ご逝去

fookpaktsuen2016-10-26

農暦九月廿六日。三笠宮ご逝去。齢一百のご長壽。早晩にハッピーヴァレイ競馬場。畏友B氏と食事しながらの競馬観戦。赤葡萄酒はLuigi RighettiのCapitel de'Roari Amarone della Valpolicella Classico 2012年。第5レースはこの競馬場では珍しい2,200mの長距離。優勝は13倍の馬で私が単勝、B氏が連複で二人して4千ドル当てる。第6レースがやはりハッピーヴァレイでは珍しいクラス1のレースであつたが日本シリーズはB氏はカープファンでカープと日ハムが仲良く競馬とは。で1対1で延長戦か、と思つたら日ハムが8回にレナードのツーランで勝ち。まさかのタイに。二人でバーSで競馬の反省会は深更に至る。
三笠宮さま(1946年に枢密院で新憲法と皇室について討議されていた折)意見書で、天皇が亡くなった場合のみ皇位継承が行われることについて「『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』といふ精神に反しはしないか?」と疑問を呈したといふ(こちら)。内閣と天皇で「重大問題」について意見が異なった場合「譲位といふ最後の道」は天皇に残しておく必要があると述べ、譲位が認められないならば「天皇は鉄鎖につながれた内閣の奴隷と化す」と指摘。内閣と天皇で「重大問題」について意見が異なった場合「譲位といふ最後の道」は天皇に残しておく必要があるとは70年前に予見の危惧が、これはまさに晋三危機の中での聖上が生前退位希求された、まさに「今」ではないか。当時の若き澄宮の卓見。その澄宮がこの天皇生前退位につき検討始まる中でご逝去とは。1998年に江沢民来日の宮中晩餐会中共国家主席に「旧陸軍の軍官として南京に駐在し日本軍の暴行を自分の目で見た、今に至るまで深く気が咎めている、中国の人々に謝罪したい」と述べられたといふ話。大学での教官当時は電車で通勤し大学食堂できつねうどん啜られ、92歳の当時も東京駅近くのビルの地下商店街を護衛もつけず一人で紙袋提げてお歩きだつたといふ。