富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Roland Barthes : Carnets du voyage en chine

fookpaktsuen2016-02-14

正月初七。昨晩は宴会でかなり飲んだが今朝はすっきり。午前中にジョギング。西湾河から三家屯に渡るフェリー乗り場にある小さな流行ってもゐない日式料理屋までヴァレンタインデーで今晩は最低消費一人HKD600なんて強気。気温摂氏25度で初夏のやうな気候に午後はうとうと。ロラン=バルト『中国旅行ノオト』再読。昏刻、芋焼酎をロックで飲みながら新聞読んでゐたらサントリーの広告で「お酒は仲間と一緒に。お酒は食事と一緒に。」といふ文句あり。余計なお世話。獨酌の何がいけないのか、食事などせず酒の味を楽しんではいけないのか。「自分らの頃の壽屋なら、こんなプロパガンダは謳わないよ」と山口瞳さんなら言いさうなサントリーの野暮なお節介広告。晩にNHKスペシャル司馬遼太郎思索紀行「この国のかたち」を見る。司馬遼没後20年、何だか司馬遼が右からも左から見てもウケるで「国民的作家」に祀られてゐる。「この国のかたち」といへば30年ほど前に読売新聞の正月特集で司馬遼太郎樋口陽一先生の対談で司馬遼が日本には小文字のconstitutionがない、と指摘してゐたこと。この小文字のconstitutionを一言で表す言葉が見つからないとして「この国の形」formationとした。今回も番組中で陽一先生が司馬遼の語る「公」といふ観念についてコメントされてゐたがNHKの意図は何かが違ふ、といふかズレてゐる。日本の武士が私利私欲を恥とする「名こそ惜しけれ」の精神が武家政権の拡大と共に全国に浸透……って、そんなものまた後世の勝手な昇華で、それがあつたからこそ日本は明治に入つて急速な近代化を推し進めた……って司馬遼だって生前、明治の近代化成功の尤も大きな要因は江戸時代の庶民、農民の民度の高さと寺子屋での教育って言つてたのに。そんな武士の理念で「グローバリズム礼賛の中で忘れ去られようとしている日本人独自のメンタリティに光を当てる」ってNHKも、もうすでに高市早苗的にかなりカルト的すぎ。
朝日新聞の一面トップは「企業の政策減税倍増 安倍政権で1.2兆円 62%巨大企業」(こちら)。ほんと安倍政権支へてゐるのは企業。民間企業の方と話してゐると誰も晋三の悪口言はないのも道理、但しこれも「今までは」ね、だろ。日経も一面トップで「日本株の4割が異次元緩和前水準に」と、さすがの日経もアベノミクスにお手上げか、と思つたが二面の「風見鶏」では

最近の安倍晋三首相を見ていると、権力の使い方に磨きをかけている自負がうかがえる。周辺に「やっぱり権力だよ」と話す。3年も首相の座にいて国政選挙に勝ち続けると、永田町や霞が関を抑える力は増す。(略)安倍氏は首相であることより、首相として何をするかに重きを置く。当面の最大の課題である参院選を乗り越えた後、レガシー(遺産)として何をなすべきか考えているのだろう。改憲は長年の宿願で、再登板をめざした原動力の一つでもあった。改憲を語る首相はいきいきとしている。

と、まだヨイショ。さらにアベノミクスも「足元は世界の金融市場が揺らぎ、首相側は影響の広がりを懸念する」としつゝ

首相の経済ブレーンの本田悦朗内閣官房参与は「首相の任期中に絶対に『デフレ脱却宣言』をやらなければならない」と語る。だが「いつ脱却できるか分からない」とし、17年4月に予定している消費税率10%への引き上げ延期と追加の金融緩和が必要と訴える。
首相周辺には、任期が18年4月までの日銀の黒田東彦総裁の再任論が早くも飛び交う。再任ならさらに5年の任期を得て、安倍首相なきアベノミクスの継続に布石を打つことになる。

とポスト晋三まで!アベノミクスに期待感。日経も晋三とどこまで心中するつもりなのかしら。その晋三さんは昨日、慶応の病院で人間ドック……これも個人情報か、首相の健康状態なので是非それが知りたいところ。毎日新聞一面トップは「9条解釈、協議録残さず」。集団的自衛権行使容認に伴ふ9条解釈で内閣法制局長官横畠某が与党側との協議につき記録残しておらず。行政機関に義務づけられてゐる公文書管理法の趣旨に反するだけでなく局長「個人」が閣外の国会議員と接触じだい異例。
▼ロラン=バルト『中国旅行ノオト』について。『表徴の帝国』が1970年で、これは1974年に文化大革命期の批林批孔*1真っ盛りの中国を旅した際のメモ。ピアノで「乙女の祈り」が実際の祈りを経験したことがない、宗教否定の世界では唯物論的視点でこの曲が放棄されるほど絶頂の時代。日本を巡る『表徴の帝国』の思慮深さに比べ「うんざり」する中国での決まりきった旅でバルトは時々遭遇する美しい少年、青年のセクシュアリティしか見てゐない。それも遭遇して眺めるだけ、せいぜい握手を少し長くする程度で、東京は何と素晴らしかったことか、だろう。共産主義プロパガンダの中で若者たちの性欲はどこにいくのか、と憂ふバルト。天安門広場での記念写真、右から二人目がロラン=バルト先生。

おそらく、ここに書きつけたノートはすべて(日本との比較して)この国での私のエクリチュールの挫折を証明することになるらろう。実際、私は書き留めるものも列挙すべきものも分類すべきものも全く見出せない。

とバルトは嘆くが、その理由は中共共産主義体制での画一化でもなく〈大陸〉としての中国がフランスと同じで何もエキゾチックな表象が見えないため。片頭痛に悩まされ「言語と旅行者の二重のガラスに遮られている」決まりきった説明と政治的な対話に「こんなことばかりでは1人の中国人のペニスすら見ることはないだろう、性器を知らないで民衆から何を知ることができるだろう?」とバルト先生のいつものクールな記号の世界からは想像もつかない余りに露骨な感想の書かれたノオトは、それが記号論の作品化されないメモといふ稀なルポルタージュである点は面白い。
朝日新聞「日曜に想う」論説主幹・大野博人の「今そこにある緊急事態」(こちら)より。
与党・自民党憲法に緊急事態条項が必要だという。

「有事や大規模災害などが発生したときに、緊急事態の宣言を行い、内閣総理大臣等に一時的に緊急事態に対処するための権限を付与することができることなどを規定」(自民党憲法改正草案Q&A)したいそうだ。
「発生したとき」? 何を言っているのだろう。緊急事態なら、日本は5年前のあの日からずっと、そのまっただ中にいるではないか。東京電力福島第一原発の事故は「起きた」のではなく、「起きている」のだ。
そもそも事故直後に政府が発令した「原子力緊急事態宣言」はまだ解除されていない。(略)
その判断と、緊急事態条項に前のめりの姿勢との間に整合性を見いだすのはかなり難しい。
リスクに備えるといいながら、リスクを直視しているように見えない。

晋三政権のちぐはぐぶりはこれが初めてではない、安全保障法制を強引に成立させたときも同様。積極的平和主義というスローガンを掲げ中東・ホルムズ海峡の封鎖の恐れや「有事の現場から逃げ出さなければならない母子」といった現実味の乏しいイメージの強調。その一方で中東で発生しているおびただしい数の難民問題にはあまり関心を示さない。
現実の緊急事態は、政治にとって重い課題だが簡単には解決策は見つけられず、その一方で空想の緊急事態は今そこにあるわけではないのに、それを弄ぶ。衆議院選挙の時期に有事や災害が発生して投票ができなくなると衆院議員がいない状態になりかねない、それで緊急事態条項は必要だとしつゝ衆参同日選挙に傾く声が出る矛盾。「こんな風に改憲を考える人たちが「責任感の強い」(安倍晋三首相)という形容に値するとは思えない」と。御意。

ロラン・バルト 中国旅行ノート (ちくま学芸文庫)

ロラン・バルト 中国旅行ノート (ちくま学芸文庫)

*1:おそらく単純で極左的。矯正を目指す運動は暴力的なものではなく排除を目的としていない。複雑化を進める運動は毛澤東の言葉を即座に機械的に応用しようとした林彪の考え方を挫折させる。ロラン=バルト