富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

日常が壊れゆく危機感

fookpaktsuen2015-09-08

農暦七月廿六日。白露。昨日で朝日新聞漱石「それから」連載終はつたのだが今回も「こころ」「三四郎に続き途中で断念。やはり私には漱石の面白さがちっともわからない。今日は出がけにiPadを陋宅に置き忘れたら、もう半百近いスヌーピーにそれを独占された模様。散髪。晩に日本人倶楽部で会員対象の焼酎セミナーあり。Christopher Pellegriniといふ米国人の奇特な焼酎ソムリエ(こちら)が焼酎について簡単に説明のあと利き酒会。九州の壱岐、長崎から鹿児島までの焼酎、そして琉球泡盛の三十種超へる烈酒の飲み比べ。壱岐焼酎といふのは初めての素朴な味。焼酎といふと鹿児島の印象強いが宮崎が甕雫などかなり個性化とブランド化進み沖縄の勢ほひはもはや「運動」ですらある。編集者T氏も招き、この会のあと「三菜」にて打合せ兼ね食事。
朝日新聞夕刊で小熊英二(思想の地層)で「日常が壊れゆく危機感」こちら)読む。この夏の国会前の運動は70年安保闘争と何が違ふのか。70年安保は経済の上昇期に繁栄と安定に違和感を抱く学生が多く「日常」からの脱却と非日常としての「革命」夢見る志向があつたが当然のやうに、それは国民の多数派にはならなかつた。だが2015年の安保は

経済は停滞し生活と未来への不安が増している。そこでの「日常」は崩れつつある壊れやすいものであり脱却すべき退屈なものではない。運動が掲げる主張もおよそ過激ではない。「権力者といえども法秩序を守れ」という穏健なものである。「秩序を壊せ」という革命志向とは逆の保守的ですらある主張だ。

と言ふ。小熊先生はこの国会前の状況をライブで最もよく見てゐる思想家。さう、今回のこの運動は「保守」なのだ。日本の大切なものを失ふな、と。だから支持が広範になる。

与党の政治家は、彼らは法案を誤解していると言うかもしれない。だが現政権は、生活や未来への不安という、国民の最大の関心事に関わる施策を後回しにして、精力の大半を安全保障法制に費やしている。そこまで優先すべき法案なのかについて、国民は納得のいく説明を受けていない。一部の政治家や官庁が、個人的信条や局部的利害のために、国民の声のみならず、法秩序さえ無視して暴走しているという懸念と反発が広がるのは当然だ。
国会前の若者たちは「革命」や「非日常」を夢見ているのではない。平和な日常が崩れていく不安を抱き、それに対し何もしてくれないばかりか、耳も貸そうとしない政権に「勝手に決めるな」「民主主義って何だ」と怒りと悲嘆の声を上げているのだ。
そこでの「戦争反対」「憲法守れ」は「平和と日常を壊すな」という心情の表現だ。だからこそ、学生ばかりだった70年安保と違い、老若男女あらゆる層が抗議に参加している。そして国会前の光景は、国民の不安が表面化した「氷山の一角」に過ぎない。
議員たちに問いたい。いつも黒塗りの車で移動し、地下鉄にすら乗らず、数キロ四方の数千人の中で議論し、業界団体と後援会から民情を聞く。そんな状態で、国民の不安がわかるのか。国内の「人間の安全保障」を疎かにして、何の安保法制なのか。いま国民の声に耳を傾けなければ、事態はさらに悪化する。

この小熊先生の指摘に共感を覚へるか、だうか。覚へれば今回の安保法制と晋三への批判者であり、覚へなければ勝ち組の一人といふこと。
▼9月3日の北京での軍事パレードにつき信報で林行止専欄「紅裝武裝誰根究 且看今朝比堅尼」と題して指摘するに

中國的武備,便會讓內地同胞以為足以壓伏日本及震懾美國,令前者在領海和孤島主權之爭上,全線退卻;後者則會重新調整「重返亞洲」的策(戰)略。不過,缺席閱兵禮的西方國家(直接打敗法西斯的「同盟國」),肯定不會認同這種看法,那從近數天來歐美日紙媒網媒的報道和評論,清晰可見。至於人民幣,以之作為貿易貨幣甚至外滙儲備的國家,特別是那些與中國有密切政經關係的,與日俱筯,無容置疑;然而,人民幣距離成為世界硬貨幣之途,遙不可即,因為無論在意識形態上和實踐層面上,迄今為止,北京仍無法「忍受」股價自由浮動,遑論能夠「承受」其貨幣任由國際投機者炒上炒落以致滙價水平乖離國家經濟策略的軌跡。換句話說,中國是否真的崛起,成為可與世界強權並肩起坐、在國際事務上一爭雄長的一流大國,海內海外的看法,「見仁見智」,並不一致。

と、このような冷静な見方は西欧的見地からは更に一歩踏み込みThe Economist(29Aug/4Sep 2015)の“The uses of history - Asian views of Japan’s 20th-century expansionism are not all negative”になると
Even today in South-East Asia, Japan’s war guilt and perceived remorse seem to matter less to governments and citizens. That is partly for historical reasons: Japan’s invasion and colonial rule in South-East Asia were harsh but also comparatively short―a brief interlude between Western colonisation and independence. But most of all, South-East Asia has many other reasons to get on with a country that has been an important donor, trading partner, investor and, recently, potential ally against a rising China. A proper apology would be welcome, but it is less important.
In China the Communist Party, by contrast, seeks to exploit the struggle against Japan to bolster its own legitimacy, with nationalism playing the part that class struggle once did. South Korean nationalism, too, is founded in opposition to Japan, not least because Japan oppressed Korea for longer than most other colonies. Ms Park, whose father, awkwardly, was a Japanese army officer long before he was a dictatorial South Korean president, is especially exercised by the wrongs of history. Yet South Korea’s poor relations with Japan, irksome as they are to the American ally both nations share, incur no imminent cost. So, for South Korea, as for China, almost any apology would be unacceptable. But that is no reason why they should not be offered a better one.
と複眼的になる。「但し」かうした「海外の」論調を日本側が用ゐやうとすると晋三的な歴史修正主義に陥るので日本人は粛々と間違つた侵略戦争行為への反省をしなければいけない、聖上のやうに。