富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

盂蘭盆会

fookpaktsuen2015-08-27

農暦七月十四日。昨日が盂蘭盆会の入りで、あちこちでまぁいろいろ燃す、燃す、燃す。昨日文春の予告で自民離党の武藤貴也先生の未成年男子買春醜聞に始まり女性セブンは首相夫人が元BOØWYの布袋氏と不倫と続けば上方漫才の徹&一郎が所属事務所の維新の会から脱退表明……とまぁ話題盛り澤山。どれも結局は晋三にとつて胃腸に悪いネタばかり。それにしても売買春はビジネスとして認知すべきといふ見方もあるが国会議員が相手が男でも女でも議員宿舎に連れ込みは拙い、脇が甘い……それでも19歳男子も男子で淫賣成立の上でのことを漏洩はルール違反。それでは売買春の根幹が揺ぐといふもの。だが東スポの記事で笑つたが新宿のゲイバー関係者のコメントで「議員のくせに1回2万円は安すぎる。しかも中出し!そりゃ暴露されるわ」は下世話だが的を得てゐるか。昭恵さんの話も酔つた勢ほひで夜中に芸能人相手のお騒ぎ程度で首相夫人といはれゝばそれまでだが不倫だなんて。橋下が維新の会立ち上げてからの趨勢思へば数年でまさかこんな事態になるとは←晋三に媚を売り慎太郎と組んだあたりから潮目変はつたか。晩に陋宅でカレーライス。平凡社新書で梶村啓二著『「東京物語」と小津安二郎』読む。「なぜ世界はベスト1に選んだのか」といふ副題に興味あつたのだが普通にきちんと「東京物語」も何度か見て小津映画一通り見てゐる自分には、とくに目新しい内容も特段なし。

能面の笑顔をやってくれ、と言われたら、このとき(東京に出てきた義父母をアパートに招き義母とみとの会話の場面)の原節子の笑顔になるのではないだろうか?しかし、現実にこういう笑顔を浮かべて生きていくということにをわたしたちは経験的に理解している。そして映画の中では、初めて見る種類の笑顔であり、その後、他の映画の中では二度と見ることのない笑顔であることも。

と言はれても能面のやうな笑顔浮かべて生きていくなんてこと私は「経験的に理解」なんてしてゐない。六世歌右衛門の八ッ橋とかの笑みは私らの日常ではない。何度も見た「東京物語」だがニューデジタルリマスター版で、この映画は見てみたい。背景の東京の街並みから葬儀後の会食の食器まで細かいアイテムの凝視。
朝日新聞高橋源一郎「論壇時評」(こちら)より。

柳田は、戦争の死者を、ひとりひとりの個人が作る「家」が弔う、という形を提唱することで、「国家」が弔う、という靖国神社のあり方を、もっとも深いところで批判している。「戦争の死者」が戻りたかったのは、靖国ではなく、彼らの故郷や家族のもとのはずだったから。同時に、いま柳田を読めば、もっとべつの視点を得ることもできる、とも思った。柳田が憂えたのは、人びとが、かつては我が手で行ってきた「慰霊」を、国家という「外部」に任せてしまったこと、すなわち、慰霊の「外注」だったのかもしれない。だが、わたしたちはみんな、少しずつ、「家事」も「教育」も、「外注」するようになったのだ。そのことによって、確かに、わたしたちは自由になった。その結果、得たものは何だったのだろう。

新書711「東京物語」と小津安二郎 (平凡社新書)

新書711「東京物語」と小津安二郎 (平凡社新書)