富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

社会の闇と監視カメラ

fookpaktsuen2015-08-25

農暦七月十二日。昨日の世界的株価暴落伝へる蘋果日報は幼稚園児が見ても「巨大な熊出没で何か悪いことが起きてゐる」とわかるか。昼に午前中の打合せ一緒だつたT氏と銅羅湾の老北京で辛めの小菜と餃子、晩は別なT氏と暑気払ひと称して代替はりしたと聞いてゐた居酒屋一番。廿数年来知己のスタッフと昔語り。
▼現政権は外国の脅威を煽って戦争法案を振り回す。だが本当の脅威は貧困と格差で崩れつつある社会の内側にあるのではないか。野宿する子どもたちの存在は象徴的だ。そうした現実を無視し一方で少子化対策と称して「産めよ、殖やせよ」と連呼する。自戒を込めて社会の深層に目を凝らしたい……と寝屋川事件についての都新聞「こち特」記事で牧記者のデスクメモ。この事件に関して同紙の社説「中1男女遺棄 命守る心構え教えねば」(こちら)が建前でなくで良い。

もちろん、子どもの夜遊びを推奨するつもりはないが、中学生が少し背伸びをし、冒険してみることは、大人になるための一里塚でもある。駄目だと言うだけで済む話ではない。背伸びをするなら、危険を察して身を守る覚悟、落とし穴を見破る警戒心を欠いてはならない。いくら明るくとも、携帯でつながっていても、悪意の標的にされる危険がなくなるわけではない。街の明るさに惑わされぬよう、あらためて少年少女に教えたい。

朝日の社説「中1男女殺害 防ぐ手立てなかったか」(こちら)は、ちと指摘が緩い。夜は本当は怖いのだ。ふら/\してゐると魔物に連れ去られてしまつたり怪しい奴らが徘徊してゐる。昼間だつて悪所があつた。高橋睦郎『善の遍歴』とか読めばわかる話だし(って戦後すぐの混乱期か)、丸山明宏くらゐの感性があれば(って平凡には無いか、普通は)十代前半でも乱歩的な悪所街場の怖さ体感して学べるところだが今の社会ではさういふ訓練は無理なのね。しかもはり巡らされた監視カメラ網でさうした闇、悪所はたゞ明るく露わにされてしまつてゐるばかりで、それでは加害者は見つかつても、かうした猟奇が解決することはない。
▼日経の連載「シンゾウとの距離」で⑥二階俊博(情と打算、互恵互助)について。この方が晋三と「阿吽の呼吸で政権不安要素抑へる」のは勝手だが、記事中で村上誠一郎議員の集団的自衛権反発の事例があるが「シナリオ通りだった」って誰の何が?全く意味不明……と私が呟板に書いたら或る方から

村上さんの総務会での発言の自由を確保して守る代わりに採決の時には退席してもらうという二階のシナリオ通りという内容ですね。端折ってますが一年以上前からの伏線なので書けなかったのでしょう。

と指摘あり。御意。村上議員の反発、これが小泉郵政国会なら退党ものだが今回はお咎めなし。これぢゃ自民党内で、まるで55年体制の対社会党国対みたいなやりとり。だが、こんなシナリオなしでも村上先生の判断はブレないでせうが。今の自民党で恐らく最も真っ当な判断力のある方。
▼今回の安保法制で憲法学者の大多数は違憲という判断に対して国際政治学者の間では国際関係の現状考へれば集団的自衛体制も止むを得なしといふ味方があるといふ。典型的な例で朝日新聞藤原帰一先生の論考が出てゐた。

アメリカの戦争に巻き込まれるなという訴えをもとに集団的自衛権をすべて否定することには賛成できない。憲法9条を基軸とする日本の平和主義は、日本が再び侵略戦争を引き起こすことを防止するために貢献する一方、日本の安全に関わらない国際紛争に対しては孤立主義ともいうべき姿勢を生み出した。平和主義というかけ声の下で平和構築のために必要となる国際協力から日本が外れる結果を招くことがあってはならない。

と、この辺が国際政治学者としての了見。だが朝日に載るくらゐの帰一先生なので

他方、集団的自衛権の名の下でアメリカの求める軍事協力に応じることにも強い懸念がある。アメリカはいつでも戦争を始めようとしているわけではないが、ベトナム戦争イラク戦争のように過去にいくつもの不要な戦争に走ってきた。アメリカの無謀な軍事介入に日本が協力すれば、平和構築どころか平和の破壊に加担することになってしまう。

といふ懸念がある。そこがジレンマだが、では結論は?となると

必要なのは、それぞれの国際紛争を自分の力で分析し、武力行使以外の手段が本当に存在しないのか、それを見極める判断力である。

って、それぢゃ解答になつてゐない(これが結論といふのは、よくある論調だが)。

新安保法制を巡って国会で行われている議論を見るとき、日本政府にも、また野党にも、国際紛争を冷静に捉える力があるとは思われない。政局と結びついた国内消費用の議論ではない国際紛争の分析がいまほど必要な時はない。

結局最後は「国際政治学、国際関係論の必要性」で「これからも国際政治学を、どうぞ、よろしく」だろ、これぢゃ。