富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

東都漫ろ歩き

fookpaktsuen2015-08-12

農暦六月廿八日。旅寓の朝食堂で入り口で利用者表に名前書かうとしたら一つ上にMとあり。M先生窓際の席でお一人。新国立競技場の案件でご尽力。高齢にもかゝはらずご多忙のことだらう。M先生は奥様が松本重治の娘で重治が国際文化会館の設立に寄与され1965年から暫く理事長されてゐたが当時の住まひが、この国際文化会館の奥で(今は会館拡張されてゐる一角)M先生も結婚前にこゝでローストビーフ食べたことやロックフェラーとの関はり等、この会館の機関紙に暫く前に書かれてゐた。そのM先生が隣席とは緊張するばかり。酷暑。朝の六本木から営団日比谷公園経由で根津。日傘も愉しくお寺眺め歩いて東京藝大の美術館で「うらめしや〜、冥土のみやげ展」見る。幽霊に対する江戸時代の感性の豊かさ。全生庵圓朝コレクションも多数。藝大先の桃林堂で小鯛焼贖ふ。暑いなか上野公園を抜ける。上野の山に神社仏閣から博物館や美術館、動物園から音楽堂まで、まぁ本当に楽しいお山だこと。池之端に出て仲之町の組紐・道明。蓬玉庵も藪もお盆休みだつたが道明は幸いに開いてゐる(改築中で筋向ひに仮店舗)。鉄道時計の紐こしらへやうかと思つたら既製品あり。但し色が茶だけ、で墨色で注文済まし茶菓子供され女将と四方山話。銀座線で三越前三井記念美術館でフィアデルフィア美術館コレクション「春信一番、写樂二番」見る。春信からのきちんとした浮世絵の世界に突然現れた写樂*1の可笑しさ、ありゃ何かしら。会社員の昼時も過ぎたので人口に膾炙して 日本橋で天ぷらといへば此処」の或名店へ。こゝもお盆休みは周末からで開いてゐて幸はひ、歴史建築のやうな店舗の扉開けると老主人がカウンターにぼんやりと座つてゐて客をらず。一見の客相手に息子と嫁三人で黙々とはいゝが天ぷら揚げるタイミングがあるにせよ何だかいち/\見られてゐるやうで堅苦しい。それでも当方もそろ/\老獪の齢で「これしき」と思ひ百鬼園百輭先生宜しく天ぷら頬張つたが魚のあとに揚げたパセリは火が通りすぎて焦げてゐるし最後の小海老のかき揚げは周りは揚げすぎなくらゐ焦げてゐたが中身が生で言葉もなし。少し火の通りが足りないどころか、うどん粉のまゝで小海老も生。さすがに箸つけられず。揚げ方も食べっぷりよきアタシが残した理由わかつたかしら、いずれにせよ無愛想、これで七千円とは。何だか不愉快で神田抜けて歩き須田町。昨日さんざん久が原T君に勧められた「竹むら」。天ぷらのあとにかき氷はお腹こはすが生のかき揚げ食べさせられてんだから。猛暑で冷菓求める客多し。外で暫く待つて小豆のかき氷。十代男子少なからず。昔は築地H君と甘味入るとかなり目立つたものだが。上野では蓬も藪も閉まつてゐたが「まつや」開いてて、もり一枚なら、と蕎麦啜る。淡路町から営団で東京駅。三菱一号館美術館で「画鬼暁斎」見る。まぁあれこれ多岐に渡り、まさに「画鬼」。細かい作風云々ではなく、江戸末から明治に入り商業藝術として見るべき。コンドルの日本画もあり。小雨。三菱商事の入つたビルの路面一帯がお洒落な丸の内ブリックスクエアで、其処にパスザバトンと聞くと意味不明だが Pass the Baton といふコンセプト系の高級リサイクル店(こちら)あり何気に入つたら女性物の イタリア製のオレンジの綺麗な「いかにも」エルメスのニットのベストあり家人誕生日もすぐなので祝ひに贖ふ。銀座松屋。家人来る。エルメスのニット気に入つてくれ安堵(返品不可)。屋上にネットラジオのスタジオあり畏友の放送作家M君がホストの番組、それにハロンS君登場でお二人にご挨拶。桃林堂の小鯛焼差し入れ。番組放送中に辞して慌てゝ午後6時閉店前の宮脇賣扇庵。夏野で昨夏に購入の箸がすぐに染め禿げてしまひ先週塗り直し依頼してをり受け取り。サッポロビール。中国人観光客溢れるなか汐留まで歩き大江戸線麻布十番。魚料理の名店・富ちゃんに飰す。まぁ大将の人柄の良さ。客を幸せにすること。焼酎の「まろ甕」並々で二杯に酩酊。旅寓に戻り記憶失ふ。

*1:写楽につき「あまりに真を画かんとて、あらぬさまにかきなせしかば長く世に行われず」と大田南畝