富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2015-07-28

農暦六月十三日。晴。小雨。今月三日に酔つて腰抜かし破損の眼鏡、東京メガネで修理済み受け取り。眼鏡の蔓の部分が掛け具合調整の際に金具でメッキ剥げてゐたのもメッキし直してもらふ(この作業は日本で)。三週間余で済みありがたい。香港でビル工事の竹組慣れて驚かないがエクセルシオーロホテル横の斜め組みには恐れ入谷の鬼子母神。中環のRolex社で腕時計をメンテナンスに出す。新聞で「手帳は高橋」でプレミアムオーダー手帳の広告あり(こちら)洗練されてゐるがカレンダーが日本の祝日なのは不便、こゝ数年、ほぼ日手帳(英語版)使つてゐたがやはり重いしガサばるので数年ぶりにSmythsonのダイアリーと復縁といふことでThe LandmarkのHarvey NicholsにあるSmythsonの店でダイアリー購入。早晩にFCCでN女史と飲む。Nicolas Feuillatteの三鞭酒。家人来て中華メニューをアテにCline Climate Pinot Noir飲む。食後に珍しく地下のジャズクラブでも飲む。
▼新東京オリムピックにつき「大げさ」やめ原点戻ろう、とデーブ=スペクター氏。

おもてなしと言えば、これを五輪までにもっと磨こう、観光客を呼ぼうという考えがあります。インフラを残すんじゃなくてね。残念だけど、公の場で口にした途端におもてなしじゃなくなった。日本ってサービスがいい、細かい気配りがあるというのは確か。最高だと思いますが、今までは本人たちすら意識していなくて、ありのままが外国人にはよかったんです。それが、行政が入ったり、意図的に教えたりすると、白々しくなっちゃう。クールジャパンもそう。この言葉ができた瞬間に、特に外国人が一斉に「それ、やめた方がいい」って言い始めた。クールかどうかは、見る側が決めるもんでしょ。

とご指摘の通り。五輪が平和もたらすなどといふ美化を止め大げさになりすぎた五輪を原点に戻せばいゝ、開会式・閉会式の長い派手なパフォーマンスをやめて簡素にすればどんなにスポーツらしい大会になるか。「お金がないから節約したけど普通にこなして楽しい五輪とパラリンピックにすれば「さすが日本」と言われます」と。
▼田畑光永氏と元中国大使の矢野谷野作太郎氏の対談(週間読書人7月3日号)。対中国の「謝罪」について敗戦直後、東久邇宮首相は開戦当時の首相・近衛文麿を中国への謝罪使節として送る案あつたが東久邇宮内閣退陣で計画倒れ。田中角栄の「多大のご迷惑」発言は中国激怒、村山談話につながるが近衛謝罪使節訪中実現してゐたら戦後の日中関係も随分と変はつてゐただらう、と田畑氏。「賠償」については中共は日本に対する賠償請求権放棄してゐるが最初から支払へとは言つてゐないもの。それを日本(外務省)は中共に請求の権利なしと言ひ周恩来激怒。国府日華平和条約締結で賠償を放棄したことになつてゐるが当時の外務省条約局長(のちに事務次官)の下田武三の記述によると、国府は賠償請求権主張したものゝ日本側が賠償権は大陸の問題で日華条約の適用範囲外と拒んだもの。後に中共と交渉の際は、この問題は日華条約ですでに国府が賠償放棄してをり大陸に請求権なしとしたもので日本側は上手く二枚舌、と。興味深い話。田畑氏の御名刺は1990年だつたかTBSの香港支局開設の際のもので1997年に向けTBSの顔で田畑氏が華々しく支局長に就任、その支局開設パーティがマンダリンオリエンタルホテルであり若輩者のアタシも末席汚した際に田畑氏の尊顔に拝したときのもの、我ながらよくまだ持つてゐた。電話番号がまだ7桁で(現在は8桁)、メールアドレスもまだない時代。