富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

S従兄遷霊祭

fookpaktsuen2014-11-29

農暦十月初八。朝六時半過ぎに陋宅出で香港空港。08:40発のCX548便で東京へ*1。ラウンジで珈琲飲んで時間勘違ひ。最終搭乗案内に慌てる。羽田に到着。大雨に参るがモノレールのホームに上がる頃には雨歇み晴れ間すら見える。御徒町池之端仲町から数寄屋町に入つた安宿に下榻。部屋の狭さに難儀。昔は上野の結構な商家並ぶ通り、今でも組紐の道明など残るが、すっかりキャッチバーばかり並び明るい内から客引き。仲町の蓮玉庵。夕方で客もをらず一人、蕎麦啜る。アメ横。美都商事にロンソンのヴァレフレーム、ガス充填すると漏れあり修理願ひ。先考愛用のライター貰つたが成田空港の公衆電話上に置き忘れ上野に出てアメ横に急ぎ、このライター屋で贖つたのが25年前のこと。ご主人に聞くと、このタイプのロンソンなら今なら12千円くらゐかしら……在庫があればね、と言はれ店内眺めると当時はカルチェや高級ライターずらりと並んでゐたが今ではすつかりジッポー専門店の感あり。京浜東北線で赤羽へ向かふ。今晩は先週末に意識失ひ急逝の従兄遷霊祭は仏事での通夜。S従兄の死はこゝ数日のあひだ実感無かつたが王子、東十條と電車走るなか昏刻の車窓からの風景に十代のころ、このへん徘徊した当時思ひ出すと一緒だつたS従兄の不在が少しずつ実感となり無量。他の驛同様に「驛中」ばかり賑はふ赤羽。飲食店など並ぶ東口に比べ西口の閑けさ。暗い住宅地を斎場に向かふ。妹と合ふ。愛息失われたR叔母、夫失くし喪主となつたKさんにご挨拶。言葉もなし。阿佐ヶ谷神明宮の神主参られ晩六時より神葬祭神道での殯儀は珍しく百件中に一つだとか。アタシも知る限り宮中と、この父方の実家くらゐ。父方の祖父が郷里の住職と仲違ひし祭事をば神道に改めた所以。遷霊祭は晩に行ふので「仏事での通夜に当たる」と思はれがちだが通夜は成仏する前の故人と親者の別れの最後の夜なのに対して遷霊祭は死者の霊をば御霊代(みたましろ)に遷す儀式。祭壇の前に置かれた仏教の位牌のやうな白木に、全ての明かりを消して暗闇のなか御霊が宿る。この晩に弔ひ訪れた方、実に七百四十余名の宜。役所の同僚らの他、これまで関はつた教育や福祉、地元コミュニティの方など現役で急逝となつたS従兄に殊更の哀悼表される。神事済み直会(なおらひ)。埼京線で新宿。南口より漫歩。バーEにて独酌。お清め。三更にバーQで久が原T君と旧交温め半夜更に一軒飲み妓子と四方山話。時間潰す内に深更タクシー自動車で上野に還る。

*1:香港から東京へのフライト事情。一泊二日の蜻蛉返り。キャセイはYが4千ドル余で出てゐたが香港からの往路が夕方で帰りが午前便では実質滞在15時間。6千ドル余なら真っ当な時間で往復。LCCは安いのかしら、と覗いたらバニラ航空は土、日に就航なく香港エクスプレスは往復で8千ドル台って何よそれ?な価格。