富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

羽仁未央さん逝去。哀悼。

fookpaktsuen2014-11-19

農暦閏九月廿七日。「衆院21日解散」と大見出しの読売新聞は「長期政権みらみ決断」って、その通りだね、あ〜ソレ/\。「衆院解散表明 安倍政治の信任が最大争点だ」といふ社説(こちら)もタイトルはその通りだが内容は晋三に「頑張ってみたまへ」でナベサダは人生の最後で自民党政治をば高みの見物は嘸や愉快だらう。テレビ出演の晋三は「65.7%が解散総選挙に反対」といふアンケート結果に「65%以上の方が私に首相をそのままやれ、と応援してくださっている」と受け取り「それはありがたい、しかし、同時に謙虚に受け止めたい」と宣つた由。呆れて言葉もなし。知己より羽仁未央さんの訃報を聞く(翌20日の朝日朝刊に訃報あり、こちら)。東京で昨日逝去された由。半百。最後にお会ひしたのが8年も前の夏。羽仁さんのその当時、西営盤にあつた事務所兼自宅で夏の最中に鍋をしようと誘はれ、そのときもよく飲んで未央さんは最後は乱れた(こちら)。その数ヶ月前に編集者のS嬢と仕事がありS嬢が羽仁さんが新嘉坡から香港に戻つて来てゐるので一緒に食事しませうよ、と未央さんに再会も久しぶりのこと(こちら)。Z嬢など実に10年ぶりの再会。90年代の「明るい時代」に羽仁さんのオフィスがミッドレベルでエスカレーターの一本裏のPeel街にあり歩いて数分のご近所。羽仁さん、専属カメラマンのH兄と仲良くさせていたゞいた。香港返還の後、羽仁さんはオフィスを新加坡に移しアジアを映像通じて見せてゆきたい、と力強く。それから随分とご無沙汰続いたが上述のS嬢のアレンヂで再開。新加坡の気鋭のRoyston Tan監督のことや「ゲルマニウムの夜」のことなど話すのが愉快なのだが「話す」といふより羽仁未央といふ「崇高なる感性」に触れるやうなものだつた。和仁さんのブログ(こちら)からの又引きになるが羽仁さんの『香港は路の上』(徳間文庫)から「離境(ディパーチュア)」にある一文

いつも香港に戻るとき、やっぱり私は夜の便が好きなのだけど、だってあの街の輝きを見ながら帰れるのはいい。で、半島の上にさしかかり光を見ると私は急にうれしくなる。それからあの匂い、香港の、街の、独特にいろいろまざった匂い、あれをかいだような気がして(あり得ないのはわかっても、私はいつもあの匂いを感じる)、それで、へへへ、と笑いながら街に話しかける。
そっちが私を憶えていなくても、帰って来て欲しくなくても、私そんなの気にしないもん。私はあなたに会えて心がパンクしそうなほどうれしいわ。こんなこと、人間に対して思ったら、悔しくて倒れそうだろうが。
大きなものに恋するのは楽しい。太刀打ちできないものには、ただただ、ばかのように好きよ好きよと言えるから。

少しでも肖りたいが真似できるものではない天性とはまさに、これ。原稿用紙といふか紙に未央さんが文字を埋めてゆく、あの原稿をふと思ひ出す(中上健次の原稿のやうなパワーがあつた)。アタシも何れ後を追ひ、あの世で何の気がねもなく大酒を飲みたく、それまでは暫しお別れ。哀悼。酒の量も考へないと、と思ひつゝ早晩に太古の岡田屋で1ℓパックの日本盛と芋焼酎贖ひ帰宅。カレーライス。日本から届いた荷物の切手が鉄道特集!で嬉しいかぎり。この切手にある電車「全部乗ってる!」と自慢したかつた、が厳密には(新型NEXの上の)国鉄の電車特急は581系で大阪から九州への月光や有明でアタシは乗つたことがなく、私の乗車は「はつかり」「みちのく」で同じ系列だが583系で鉄ちゃん的には正確には「別」となる。
▼昨日の信報、林行止専欄「不清場不撤場 散場 無對話沒商量 玩法」は

北京的河水可以隨意滲透、「過濾」香港的井水,這使更多靠「井水」過活的人,由於憂慮「井水」被「河水」完全淹沒而不得不順着「河水」的流向辦事!(略)大家都疲累了,「佔領活動」應近尾聲,但筆者要強調的是,這場未竟全功的群眾活動,留給香港許多寶貴的東西。「雨傘運動」群而不黨,展示了網絡時代的民意訴求如何凝聚、群眾如何聚集,可惜局限於時勢,在中國全方位崛起的背景下,蔚然壯觀的民意、民力,對有錢有槍的專制政權毫無威脅、沒有影響。「三子」是有見地的學者和傳道人,學生是有為的青年,他們深得筆者佩服與同情,可是,有利於大多數人且符合公義的取向,在如此的政治大氣候下,並無勝算的把握。現實如此,鳴金收兵是不得已的選擇!

と学生らに道路占拠もそろ/\潮時、撤収考慮すべき、と書いてゐたが今朝未明に一部の急進派の学生(背景不明)が立法会入り口のガラス扉割るなど狼藉働く騒ぎあり。これまで「ガラス一枚割れない」とすら讃へられた民主化運動が、やはり一向に進捗もなき状態で活動家の鬱憤も溜つたのか、或いは何か外部作用か、いずれにせよ主流派から過激派が分裂は政治運動の常か。

83際の爺さんが60際の好事家相手に戦前のエロ写真をネットで販売、って、なかなか微笑ましい話。戦前、農家の畦や納屋でのってコレ、好事家の間ではポピュラーな作品か?、ネットで見たことあるやうな記憶。よく、戦後は路地で「旦那、いい写真があるんでげすよ」なんて封筒からちらっと見せられ「二千円で、おひとつ」なんて言はれて買って明るいところで開けてみると若乃花栃錦の取り組みの写真だった、なんてのが懐かしいところ。