富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

書湘門弟

fookpaktsuen2014-08-03

農暦七月初八。晴。朝、海岸沿ひを小一時間走る。昼前から官邸。書類整理。暑いこの季節、ふと森田童子が聞きたくなるから。夕方、官邸に来客あり(本石町K女史、A氏)。三人でタクシーに乗り西環へ往く。S嬢、Z嬢と待合せ書湘門弟に飰す。確か九龍城の湖南少奶に修業した青年が営む湘菜=湖南料理の食肆。ふと気になつたのが「湘南」といふ日本の地名。サザンですつかり有名な江ノ島の湘南、だが中国は洞庭湖に注ぐ長江の大きな支流「湘江」に由来して湖南省の別称に「湘」を使ふのはわかるが。で調べてみると二説あり。一つは鎌倉で禅宗盛んになり当時、中国では長沙の湘南県(湘江の南岸)が禅宗のメッカで←ヰキペディアの表記だが「禅宗のメッカ」は可笑しい、鎌倉で建長寺円覚寺のある一帯を湘南と称したといふ。もう一つの説は相模国の南で湘南といふ説。前者の方が説得力あり。本石町K女史ご持参の福島は田村町、仁井田本家の「穏」(おだやか)の冷酒。佐賀は天山酒造の「七田」おりがらみ、秋鹿の三年熟成!生酒を賞味。西環で帰りにバス待つ間、コンビニでカゴメのトマトジュース購ひ一口飲んで家に持ち帰りBloody Maryにしてみたが今どきのトマトジュースは極度の減塩でさらさらすぎてBloody Maryには合はぬ。
▼ケーブルカーやロープーウェイは意外と技術的には簡単だからなのか(少なくても車両に動力は要らない)香港でもピークトラム(ケーブルカー)の運行は市街の市電(トラム)開業の1904年よりずっと早く1988年には運行開始。「公共」交通機関ではなく、あくまでピークに居住する英国植民地の上流階級のため、といふのも敷設急ぐ理由の一つだらうが香港島のQuarry BayもTaikoo財閥(現在のSwire)の造船所や砂糖工場などあつたことでパーカー山(大風拗)に英国人高層用住宅建て、そこと下界の通勤用に1892年にロープーウェイをば敷いたといふのだから大胆。写真左の「水塘」が今のMount Paker Lodgeのあたり。40年利用され老朽化で1930年代に撤去されたが(すでに自動車道が開通)今では当時の面影も何もない。
東京新聞が八月朔日より電子版開始。三日目の今日になつて登録。相変らず反原発お元気。東電役人罪人の如し(って無実で済まされないが)。「こち特」も健在。東都の歌舞音曲の記事も多し。日曜版の子ども欄が「はだしのゲン」である。ご立派。