富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Royal HK Yacht Club

fookpaktsuen2014-07-29

農暦七月初三。あたしの香港といふイメージの初期体験は、ずっとホイ三兄弟のMr. Booシリーズの喜劇映画かブルース=リーだと思つてゐたが、よく/\考へるとテレビで「キーハンター」系のアクションドラマ海外ロケで麻薬密輸など悪の栄える東洋のカスバ(笑)か、年を追つて考へると1967年の映画『007は二度死ぬ』冒頭の香港シーンかもしれない。香港でジェームス=ボンドが小舟で怪しげな賭場や色情の要塞に渡る……イメージ的には澳門だが香港から小舟だ、水上レストランのジャンボも印象は近いが観光ズレしすぎ。さう考えると香港島で高級のリムジンに載せられ島南の鄙びた漁村か、人気のない海岸沿ひで薄暮の頃、遠くから小舟が現れ“Nice to see you, Mr. Bond!”と現はれたる政商。小舟に乗つて往きつく先はに乗つて往きつく先は……が、まさに香港。といふわけで今日は薄暮の頃に貿易H氏の秘書嬢がベンツであたしを官邸にお迎へ、お車で島南へと向ひ車を降りて沿岸へと小径下り海岸線と波を見つけること暫し、貿易H氏が旧知のN嬢と一緒に現れ小舟で四人で波に揺られ渡る先は、って敵の秘密基地ではなくH氏がメンバーのロイヤル香港ヨットクラブ(こちら)。Middle Islandのクラブハウス。平日の薄暮といふにも未だ明るいヨットクラブ、水着の若者二人が海で飼ひ犬と戯れ、クラブハウスにはデッキの先で海を眺めながら読書するメンバー一人。なんて閑かな世界。ダイニングエリアも冷房なしの開放。夕暮れ眺めながら、の会食。セーリングなどするメンバーなど食事に現れるが数組。軽い食事と歓談のうち空もすつかり暗くなり星がよく見える。また小舟で対岸に戻り急坂上るのも億劫で沿岸の遊歩道をDeep Water Bayまで歩きリムジンで送迎いたゞく。H氏には今日のお招きのお礼に、ヨットクラブは暑いだらう、とも察して宮脇のお扇子を差し上げる。「あれ、この芳香」と関心もつていたゞけたのは扇子を抽斗で、なかに鳩居堂のにほひ粉にまぶして一年もヴィンテージにしてゐたから。好事家好み。
▼(昨日の続き)ダイナーズクラブのシニアスタッフより電話あり。付属カード発行でご不便をおかけした事情は重々理解いたしました、つきましては早急に発行手続きを自分が責任をもつてさせていたゞきますので、と。申請書あらためて用意してをいたが、これでまた「サインが欠けてゐる」といはれては元も子もないので先方にフォーマット見るやう求め、こちらと照らし合はせる。二頁目にサインの箇所あるだけで他にはなく、前回提出のものは生憎コピーも残してをらぬが、この箇所のサインは間違ひなくした記憶あり。先方は、その申請書の確認が出来ないといひ、やはり最初に電話してきたスタッフが「サインが漏れてゐる」といふ指摘ぢたい怪しいのではないか?、恐らく申請書紛失でもしたのか珈琲でもこぼしたのかと問ふと先方も強ち否定せず謝るばかり。
▼先日の日剩(廿五日)で練乙錚が日本語の「支那」について書いてゐたが、その続編が昨日の信報にあり。タイトルからして「「支那」與Китай」と面白い。日本が中華民国を「支那共和国」などと呼んだこと怒るが、これは例へば西班牙語のRepública de Chinaの和訳で、日本で1930年代まで民国革命支持者らすら「支那」と呼んでゐた、と(差別語に非ず)。国連の会議の机上に英文で「China」とあれば今では大国の威風すら感じ、それに対して漢字の「支那」にはなぜ義憤なのか、と練乙錚。でロシア語では中国はКитайである。日本語発音だとキタイで、この語源は「契丹」。中国がロシア語(及び蒙古語までのロシア=ユーラシア語族)で契丹とされることに、なぜ憤り感じぬのか、と。これは

筆者估計,大多數的民國人和大陸人,對白種人帝國主義者(歐美乃至後來的「老大哥」俄人)都有一種莫可名言的敬畏,所以對這些民族口中的「China」和「契丹」稱謂,聽到了也就算了,連一些學者也認為可以理解、不足為奇;但是,他們對日本這個反骨的小學生說的「支那」,就很難容忍。如此出於自卑自大症候群的無情緒大情緒,其實是一種心理矛盾,與真正意義上的愛國有微妙的分別。

と、西洋には誤解にも甘んじ日本は許せぬといふ発想を指摘。ところでКитайだが練氏も書いてゐるが、これは英語の“Cathay”で中国を意味する古語とされる。古語だがご存知の通りCathay Pacific Airwaysがこれを用ゐてて、正確に訳せば(これまでもこの日剩で何度か書いてゐるが)契丹太平洋航空、となる。でも絶対にChina Pacific Airwaysには改名せぬだらう。