富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2014-07-25

農暦六月廿九日。昼に夏期休業中の中文大学学食で麻辣肥牛麺飰す。昔はこんな麻辣の利いた味付けなどなかつたが、これも香港の大学の大陸化、赤化の証左か。晩に久しぶりで佐敦は炮台街の新明記で知己を招き鍋。かなりの盛況。持込みのワインはWolf Blass Yellow Label Pinot Noir 2013年を2本。
▼昨日の信報で練乙錚が論「支那人」と題して日本から見た「支那」について書いてゐる。元々は梵文の仏教経典に見られる「支那」は隋唐の時代に中国に入り日本では空海の性靈集に「支那」の語が見られるのが最も古い。その後も中国で「支那」といふ言葉が文人の文章に見られるが、日本が日清戦争に勝ち、その後、中華民国成立しても依然として「支那国」だのと支那用いることで日本が中国を蔑視する際に「支那」用ゐられてゐるといふ反感が中国側に生まれ1930年に日本政府は正式に「中華民国」を正式に使ふやうになるが、その時代には「支那」は日本からすると劣等民族見下す語になつてゐる。

國人認為「支那」一詞含不敬之意,最初主要是上世紀20年代一部分支持「中華民國」的國人從自己的感覺裏產生出來的;支持中共的左派人士當時幾乎完全沒有那種感覺,還相反地認為「支那」一詞好得很。(略)當然,「支那」最終帶有貶義,裏頭也有日本因素:近世日本人不少認為,中國人在先秦、漢、唐、宋甚至明朝的時候,還是高度文明、十分優越的民族、人種,但後來、一直到、特別是今天,卻墮落了,質素愈來愈差,變成低等民族。如是者,日本人沿用的「支那」一詞的「含金量」也一直下降,以致今天也不免有時(視場合和用途)帶負值。

個人的には「中国」より「シナ」をば使ひたいと思ふこと屢々あり。