富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

梁山伯輿祝英台

fookpaktsuen2014-06-25

農暦五月廿八日。朝起きると日本が蹴球W盃で哥倫比亜に負けてゐた。選手や応援してゐた方には悪いが政治的には「弱い日本」で良かつた鴨。これで日本が列強に善戦などしたら晋三への追ひ風になりかねず。善戦で「晋三なしでもやっていける」とはならないのだから。晩は尖沙咀で観劇の予定あり早晩に路線バスで中環に出たら朝からの幾度も往来する驟雨に遭ひバス降車も厭ふほど。ランドマーク前で降りてFCCに往き一杯のつもりが歩く気にならず。天気が危ないので、そのまま地下鉄站に潜り尖沙咀へ。尖沙咀の站から連結のiSquareに入り丸亀製麺でうどん啜る。雨歇む。ペニンスラホテルのバーで赤葡萄酒一杯。文化中心。中国戯曲節で今晩は越劇で「梁山伯輿祝英台」だが何度か見た演目で「梁山伯輿祝英台」といへば物語より「あの曲」が中国近代クラシック曲として有名だが、それが演劇でも用ひられエンディングは蝶が舞ひ……が苦手で長いこと見ておらず。京劇好きの金融A氏に「行けなくなったから」と日曜日に切符頂戴したもの。越劇といふと何だか「ベトナム劇」のやうだが左に非ず。浙江省紹興の伝統演劇で本来なら「紹劇」だが20世紀に入り演劇近代化の中で紹劇は少女歌劇的要素取り入れ発展し(←まるで時代的にも宝塚と一緒)古来の「越」の國だつた地域なので越劇と称するやうになつた由。戦前に、その越劇のなかで各派から人気女優が生まれ、殊に尹桂芳(1919〜2000)、范瑞娟(1924〜)、徐玉蘭(1921〜)と陸錦花(1927〜)は人気高く四大小生と称される(写真は文革前か、越劇四大小生の勢揃ひで左から范瑞娟、尹桂芳、徐玉蘭、陸錦花)。1952年に撮られた中国の戯曲初の大型カラー映画「梁山伯輿祝英台」は范瑞娟と袁雪芬によるもの。今回は今日日の越劇で趙志剛(尹派)、吳鳳花(范派)、張小君(徐派)に徐標新(陸派)ら各派のトップが揃ひ来港で梁山伯と祝英台を演じ分ける。この戯曲、発端で書生祝英台に親しみ覚える梁山伯が旧制中学の硬派的「分桃」世界、祝英台は男装女子=トランスジェンダー……で今ならLGBT戯曲。殊に中入り後、第七場の悲劇の始まり「樓臺會」の吳鳳花(山伯)と陳飛(英台)の演技、歌唱がすてき。だが日曜に裴艶玲の歌唱聴いてしまつてゐる耳には若い誰彼の歌唱も満足には思へず。それにしてもエンディングの「てふてふ」はだうにかならないものかしら。
▼已故甘健成的長子甘崇軒,將在北角開設「甘飯館」私房菜(こちら)。已故嘅第二代掌舵人甘健成,佢二仔甘崇轅(Hardy)搵來?記老師傅坐鎮,喺灣仔新開「甘牌燒鵝」(こちら)。嗚呼、これを何年待つてゐたことかしら。あのお家騒動以来一度も中環の?記に足を踏み入れてをらず。

……りつくそうとするのとあまり変わらない。