富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

天安門事件から四半世紀、Jörg Demus

fookpaktsuen2014-06-04

農暦五月七日。天安門事件から四半世紀。中国は豊かになつた。当時もすでに中共政府官員の汚職あり、それが天安門事件で学生らの政府批判の要因だつたが中共官人の腐敗は更に酷くなり政府の「国家の安定」のための弾圧は「北京の春」など過去が噓のやうに徹底。早晩に中環。FCCでパスタ頬張り市大會堂。久々にRoyal Asiatic Societyの講演会で畏友、香港大学の中野先生が香港のナショナル炊飯器の講演、拝聴。RASの英国人のヴェテランたちにとうってアジア人にとつての炊飯器って、だう映るのかしら、が逆に気になるところ。香港では炊飯の他、粥を煮る、スープ、パスタ茹でる、茶葉蛋まで……と炊飯器は多用途で大活躍だが日本人にとつて炊飯器は炊飯器。炊飯器はまるで神器のやうに米を炊くことに純化されてゐる。これも考へてみると興味深い。講演のあと同じ市大會堂で維納三羽烏のイェルク=デームス師、御年八十五歳のリサイタルを聴く。シューベルトのImpromptu D935 第3曲 変ロ長調。Impromptuを「即興」曲と訳すと一寸違ふ気がする。同じくシューベルトの最後のピアノソナタ、第21番 変ロ長調トレモロなのか手の指の震へなのか、は不問。デームス師がなぜ高齢でも意欲的に香港に、かといへばこの秋だかに香港で開催される香港アジア何某ピアノコンクールの審査委員長だから、で今回は、そのPRもかねて、のご来港。かなり初歩の子どもも出るコンクールで、それに鼻息荒い母たちがピアノなんてキラキラ星程度で自分がピアノ弾いてゐることも理解できぬやうな幼子連れて、が目立ち開演前に「嫌な予感」したが当然、シューベルトのこんな曲が続けば子ども飽きるばかりでまぁ五月蝿いし目障り。アタシは中央通路席で前は余裕あつたが、それでも二人の幼子が演奏の邪魔で母の注意も不足、呆れて中入りで口頭注意。後半も聴くならせめて並んで坐らせず母が間に入れ、と。後半は遊ぶ相手をらず幾分静か。後半はバッハのゴルトベルク変奏曲。この曲、アタシは高橋悠治さんの禅師のやうな演奏が好きで他に聴くのもグールド先生だつたりするのでデームス師の、生の悦びに満ちた演奏とても新鮮。テンポも強弱も八十五歳のデームス師の、かなりワタシ流なのが素敵。アンコールはシューベルトでImpromptu D899 第4曲 変イ長調、これはMaria João Piresの演奏が好きだが、とてもゆっくりなこの曲も味わひ深い。八十五歳になつても毎日かうしてピアノを引き続けるといふこと。敬服。