富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

自発的隷従からの解放

fookpaktsuen2013-12-25

農暦十一月廿三日。聖誕節。香港は祝日。耶蘇に非ぬ異教徒のアタシは仕事も溜まり、どうにか今日中に片づけたく官邸で仕事。このところ偏頭痛治まらず。帰宅して晩におでん煮て飰す。昨晩の白葡萄酒の残り。珍しく一晩で『世界』1月号読了。寒いので暖房もつけてをらぬから布団に入つてしまふのだが臥せると寝てしまふので布団に足だけ入れて書見台で読書は睡魔防止になるやうだ。
▼昨日の都新聞論壇時評。特定秘密保護法に反対でも「自ら信じる善き心情のままに、その効果を度外視して「ファシズム」の危機叫べばよいとする心情倫理が問題」と佐藤卓己。政治状況冷静に分析すれば「制定者の暴走をも抑止する方向に法案を大きく修正してゆく柔軟な戦略」こそ必要、と。香山リカ女史が「いつもの顔ぶれ」で反対しても「顔ぶれがイヤだから」とか「香山がケチつけてってことは、いい法律なんだろw」といふ書込みにすら出会ふといひ「リベラル派の反対キャンペーン」は逆効果と指摘する。「ファシズム」といふ古いステレオタイプでわかつた気になる知的怠惰。いまの日本社会がファシズム体制なら「幸福な若者」の増加をどう説明するのか、と佐藤先生。同じような視点からの神保太郎の指摘もある(『世界』1月号)。メディアはさうした晋三政権の“腐食の構造”を嘆き「常規を逸した指導者が人気に溺れて暴走していると論評しているだけでいいのか」と。さうした単純な批判がむしろ有害であるとしてEtienne de la Boetie『自発的隷従論』から「ただ一人の圧政者には、立ち向かう必要はなく、うち負かす必要もない。国民が隷従に合意しないかぎり、その者はみずから破滅するのだ」といふ言葉を引く。「市民は自発的に隷従する己を省みて、その悪習を改めればいい」。神保氏曰く、いまの為政者たちがもっとも恐れるのは市民的不服従=自発的隷従からの解放なのだ、と。御意。あまり左翼的、リベラル的な言説に拘らず、たんに「隷従は誰だつてイヤでしょ」でいゝのかも。秋の園遊会での山本太郎直訴「事件」についていくつかの指摘も目にしたが神保氏の、この『世界』1月号「メディア時評」での指摘が最も興味深いか。久野収の日本における天皇制、支配者における「密教」と国民向け「顕教」の分析をもとに晋三は密教的な役割を天皇に押し付け、その効果を顕教世界に結びつけやうとしたのが「主権回復の日」の万歳三唱に象徴されるもの。米国は日本の敗戦後に「どうしたら政治的天皇制を安楽死に導けるか」「日本人がそれを自分でやれるようになるのか」の実験をしたのだが(その「子どもにものを教へるやうな」実験はまだ子どもが幼いまゝでだうしようもないのだが)結局のところ日本のさま/\な問題の解決を「天皇家の努力だけに任せておくことはできない」と。同じ『世界』1月号に、いまだ衰へなどどこ吹く風で、むのたけじ(1915〜)がとても大切な主張をされてゐるのだが、この国民必読のやうな言説が反故にされてしまふのが今の日本。

世界 2014年 01月号 [雑誌]

世界 2014年 01月号 [雑誌]