富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

百の伝統のあとに一つ生まれる前衛

fookpaktsuen2013-12-04

農暦十一月初二。晴。沙面まで散歩して洋館の素敵な星巴で朝の珈琲。星巴珈琲のネットも自分の携帯の電話番号(国内)で登録せぬと繋がらぬのは三大プロバイダの寡占下で身元不詳の輩が余計なことネットに書き込み防ぐためなのかしら。沙面、これまで何度も散歩してゐたが戦前の台湾銀行の建物あることに初めて気づく。清平市場もかつては山羊から猫まで生きた小動物食用に売つてゐたが今ではペット用に愛玩動物店並ぶ。ミッション。晝餉は林和西の六緑日本料理。ウェスティンホテルのカフェで五日分の日剩綴る。広州東站。16:10のT815列車で香港に戻る。久しぶりの陋宅での夕餉。水炊き。鶏のエキスたっぷりのスープで台北で購つた生麺(饂飩)煮て飰す。最近のマイブームで鍋に白ワイン、匈牙利はEtyeki Kuriaのシャルドネ09年飲む。
▼和食が無形文化遺産に、といふネタはただ/\嗤ふばかりの愚の骨頂だが、これについて祇園の板前割烹「浜作」三代目、森川裕之氏が見事に反論(朝日新聞)。

先進的で意欲的な人が海外と交流しようという話なら結構なことだと思いますよ。でも本体の日本料理店はグローバル化とは無縁であるべきで、ぶれたらあきません。私は話が逆やと思うんです。和食は極東の郷土料理でいいと思う。和服は絶対、グローバルなスタンダードにはなりませんね。そやから、よろしいんです。日本料理も西洋料理と体系が違って互換性がない。プラグが違うから残ってきたんです。グローバル化したら残るもんも残らなくなるのでは、と心配です。お料理というのはその土地の水、素材、空気に根付いたもの。本来、地産地消であるべきです。魚も海からとれた瞬間から刻々と鮮度が落ちますから。うちも昔はハワイのホテルに店を出してました。ほんまもんを海外に持っていくのは費用対効果で無理やと悟ったんです。百の伝統を繰り返し習得した末に、初めて新しいもんが一つ自然と生まれる。それが前衛でしょう。しかし、いまあるのは時代の共感を得ようとするあまりに、単なる迎合で終わっていませんか。

「百の伝統を繰り返し習得した末に、初めて新しいもんが一つ自然と生まれる。それが前衛でしょう。」ってなんて素敵な指摘なのかしら。ユネスコの登録よりも「学校で食育の授業を増やした方が意義がある」「私が一番心配しているのは個人経営の食べ物屋がどんどん消えている現実です。お昼にチェーンのカレー屋と牛丼屋しかない世界になったら、日本人の味覚はどんどん細っていきます」「外国から日本に来てもらえばいい。元のままを食べていただいて、おいしいと言わはるかどうかという話。日本には1億以上の人口があるんです。日本で日本人のお客さんに、ほんまもんを食べてもろて、おいしいと言っていただくのが日本料理屋の本望であるべきです。それで十分やっていけますから」と。御意。