富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

St Stephen College

fookpaktsuen2013-10-13

農暦九月初九。重陽節。Z嬢と14系統のバスでスタンレーに向かはうと西湾河に行つたらバス停はかなりの列で、すわ何事か?と思へば今日は重陽節でCape Collinson Rdの墓地に掃墓に赴く市民多し。スタンレー市場で歴史専門K氏と待ち合せSt Stephen Collegeに往く。重陽節でも史蹟開放のHeritage Fest続きSt Stephen Collegeの優秀さうな学生さんがSSCの広大な敷地に点在する史蹟指定の教会、学校施設をばご案内下さる。1903年に英国の寄宿学校に倣ひ華人の秀才教育に、と創立され1928年に薄扶林から赤柱の岬のこの広大なる敷地に移設されたが何よりもこの学校が歴史に名を残すのは1941年12月からの日本軍による香港占領で此処が英国人の収容所となり義勇軍として果敢に日本軍と戦つた市民兵の捕虜収容所でもあつたこと。同校の資料館見学。1943年12月は香港は日本軍占領下だが、そこからHong Kong Governmentのレターが出ているので「ん?」と思つたら場所は豪州のシドニー香港陥落後、豪州に香港臨時政府?あくまで“Finance Liaison Officer”のオフィスだが。戦前はHK Colonial GovtだったのがHK Govtになっているのも興味深い。この役所が実際に植民地にないから、なのかしら。いろいろ想像すると興味深い。隣接の赤柱軍人墓地まで見学。戦後は1968年に男女共学となり1970年代からの30年は葉校長のもと拡張発展期。創立100年を過ぎて今は広大な敷地の維持管理までもかなり負担あるのは事実。因みに1970年に政府津貼=資助学校(Govt subsidized)となつたが中文教育導入など喧々諤々の末に2008年に再び直資(Direct Subsidy)となり教育費の保護者負担増えるが政府の教育介入からは乖離*1。日曜の混雑するスタンレーは独逸麦酒祭開催もあり、いつも以上の混雑。Lucy'sなる横丁の西洋料理屋に昼餉。Z嬢買ひ物の間、小さな公園で読書。西湾河。香港で日本菓子など扱ふ759阿信屋(こちら)かつてはバッタ屋の如しだつたが株式上場して店舗網広げ(香港に現在150店舗以上)ショッピングモールなどにも入居。西湾河にかなり大きな店ありと聞き寄るが確かに「最近オープンした西湾河店では、ミニスーパーとして最新の一歩を踏み出しました」。帰宅して書室片付け。昼に外食しただけで晩も食欲あまりなくラーメン茹でて飰す。『西洋建築様式史』(美術出版社)古代オリエント埃及建築から希臘、羅馬、初期中世建築を経てロマネスク建築まで読む。
▼日経、高橋和巳文革(4)毛沢東神格化に見た時代の迷妄から抜粋。

高橋和巳は中国の将来について謎めいた予言を残した。現代中国は「過去の儒教中国と本質的にはそんなに異っていないと考える。そしてキリスト教を背景とするヨーロッパ圏と、中国を中心とする漢字文化圏との対立が、近い将来ゆくところまでゆくと思う。日本は政治的には、たいした役割ははたせないが、その二つの対立を文化的にかけはしし得る唯一の存在として将来の任務は重い」

和巳没して半生記。
曽野綾子『人間にとって成熟とは何か』幻冬舎新書について朝日の書評で斎藤環が言つてゐる。

本書が売れた要因を分析してみるなら、「(著者と)同世代が読んで留飲を下げたい」と「キャラの立った年長者に叱られたい」という需要がそれぞれ半々、といったところか。日当たりの良い縁側で、昔気質の祖母の話に耳を傾けている場面を思い浮かべれば、この語り口はむしろ心地よい、のかもしれない。キャラと言えば、保守論壇には著者に限らずけっこう「濃いキャラ」の論客が多い印象がある。そうしたキャラのリサイクルとして、この種のゆるい本にはまだまだ需要がありそうだ。

と。言ひ得て妙。

西洋建築様式史

西洋建築様式史

*1:香港の教育では公立学校不足補ふため非営利の福祉団体や教会などが経営母体の学校にも公立学校並みの援助をして義務教育の授業料免除など実施してゐるのが資助学校。それに対して日本の私学援助金にあたる政府援助を受けながらも授業料徴収で学校経営するのが直接資助(直資)学校。校舎のほうが政府の教育方針や仕様言語の拘束が低く所謂、私立のエリート校が直資選択のケース多し。