富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2013-09-24

農暦八月二十日。朝ぼんやりとバスのなかでiPadで新聞を読んでゐて朝日「特派員メモ」香港から山中季広特編のエッセイには驚いた。題して「地下鉄の異邦人」(こちら)。「香港で地下鉄に乗るたび、おしっこの不安が胸をよぎる。自分のではない。乗り合わせた幼児が車中で放つのではないかと心配なのだ。何しろ事件が続発している」とまぁ大それた不安げな書き出し。地下鉄でサリンなら怖いがたか/\幼児の小用、道徳的ではないが、恐れるほどか。さらに「事件が続発」って……。地下鉄でのガキの小便よりアタシはジャーナリストがこの程度のことでこんなセンセーショナルな書き方することに「不安が胸をよぎる」。確かに書き手はこの地下鉄内での「おしっこ〜!」に「仕方ないね」と小便させた母子に遭遇してゐる。だが「毎回共通するのは」って、こんなことにそんなに頻繁に遭遇するのか。「事件が続発」って、確かに蘋果日報や顔本への書込みなど見てゐると、このテの「事件」少なくないやうだが少なくてもアタシは遭遇したこともなければ今日、何人か近くの者に尋ねたが誰も実際に見たことはない、といふ。その程度のこと。書き手もさすがに大袈裟すぎると思つたのか「むろん香港市民も大陸からの客の99%はトイレを使うと知っている」と一文を添えてはみたが「新聞やネットに憤りの投稿が相次ぐ」と書いてゐて、やはり本人の体験なのかどうかが曖昧。「中国の一部になって16年、香港にとって大陸の人々はなお異邦人のようである」と結んでみせた。アタシなら香港と中国の人は「邦」は一緒なので異邦人ならぬ異星人とでも書いてみせるが、いずれにせよジャーナリストの短いエッセイだと思ふと小ネタで騒ぎすぎ。それとは逆に同じ単文のエッセイでも日経の春秋が真っ当なことを書いてゐる(こちら)。東京2020に世の中浮かれてゐるなか今更で18年前の「青島だ〜!」の都市博中止を回想した上で

新しい施設がほんとうにこの規模で必要なのかどうか気になってくる。都は新設競技場などを五輪のあとも維持していくそうだ。それは将来世代が支えなければならない。あの都市博中止は「まさか」ではあったけれど、背景には、持続可能な未来を考えはじめた社会の流れがあった。

と日経さんが五輪での土建景気、都市開発に冷や水を浴びせるとは。東京2020については建築家の槇文彦さんが新国立競技場巨大すぎて「外観上、新競技場は大部分がコンクリートの壁になる。これでは単なる土木加工物。歴史的に濃密な地域の美観を壊してしまう」と苦言呈し「景観を守るために作ったルールを自ら否定した」と都を批判(昨日の都新聞こちら)。ご尤も。掲載の尊子の一コマ漫画(蘋果日報)は先日の台風「うさぎ」が広東省の大亞湾原発のあたりに上陸したことで建物の防御にシールしたやうで実は中国の原発では被害があつても口封じでは?と。